゜日本の近代美術の展示の問題は,日本の内的な欲求による反アカデミズム的な近代注1984年に開館したリヴォリ現代美術館がある。その宮殿跡を改修した巨大な施設は,19世紀フランスから20世紀アメリカヘと展開していった流れである,という図式を,(1) 北澤憲昭『眼の神殿「美術」受容史ノート』美術出版杜,1989年北澤は,見せ(2) Maurizio Fagiolo dell'Arco, Public Collections of Modern Art in Italy at the Vヽミリア・ロマーニャ地方の作家を中心として収集展示を続けていたが,ボローニャの生んだ国際的な作家であるモランディの個人美術館を市庁舎内部に開館したことによって大きく運営方針を変えて,ここ20■30年の国際的な美術の動向に焦点をあてた収集展示を行っている〔図28,29)。トリーノ市近現代美術館は,ピエモンテ地方に関係する作家の19世紀から今日までの作品をもらすことなく展示しているか,そのことが逆に特色を失わせていた。また,トリーノ市には中心部から西約12kmの旧市街地に,半官半民で運営されている。イタリア20世紀を代表するアルテ・ポーヴェラの巨匠や他国の20世紀の代表作家の作品が歴史的建築物に見事に展示されている〔図30〕。以上のように,イタリアの近代美術館は,①それぞれの地方を拠点として活動しながら,イタリアの近代美術の形成に大きな役割を果たした運動や作家を中心にコレクションを形成し,②歴史的な建造物を利用しながら展示活動を行っている,と全般的には言えるだろう。トリーノ市の近現代美術館の設備は,日本と同様の特色の無い近代様式の建築物であったが,そのような点も展示に精彩を欠いていた一因かもしれな美術の動き,さらには日本のアカデミズムの特定にまで行き培く問題であると思われるが,ここではそのような段階にまで触れることはできない。しかし,近代美術とは我国は無批判に受け入れてきたように思える。もちろん,美術館が偏狭なナショナリズムに陥るのは危険であるばかりでなく,この国の美術風土を不毛のものにしてしまう危険性がある。しかし,日本の美術館が信じている西欧の近代美術でさえ多様な在り方があるというあまりにも当然な事実を,今回の調査によって確認することができた。物としての展覧会の歴史を,高橋由一の「螺旋展画閣」のような構想から,内国勧業博覧会美術館のような実証例によって,丁寧に解読している。-236-
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