-1320年頃),『薔薇物語』(1490-1500年頃),『フィリッパ王妃の祈疇書』(14世紀初頭),4,アーサー王物語を主題とするロセッティ作品における彩飾写本の影響1855年の《アーサーの墓》〔図l〕,ロセッティ,ハント,ミレイらが参加した1857年品群に即し,以下の彼が特に活用した大英図書館所蔵の彩飾写本,『湖のランスロ』(1316『クリスティーヌ・ド・ピザン作品集』(シテ・デ・ダームの挿絵画家,1403-1408年)(注4)を中心に詳細な比較研究を行い,第二次ラファエル前派が積極的に中世彩飾写本の表現を研究,分析した結果,その理解の上に立って,独自の表現様式の構築を試みたのではないか,という考察の事例としたい。ラファエル前派がアーサー王物語を主題に取り上げた主な作品には,ロセッティののモクソン版『テニソン詩集』の挿絵,続いて同年ロセッティが中心となりバーン=ジョーンズやモリスの参加したオックスフォード・ユニオンの討論室(現図書室)の壁画制作がある。ロセッティはラファエル前派のなかで最も数多くのアーサー王物語を主題とした作品を残したが,それらは,単独の作品,詩集の挿絵,壁画の一部といった多様なジャンルにおよび,アーサー王物語を図像化するにあたっての一貫したプログラムはない。しかし,結果として各作品の表現や内容のあいだには,密接な関係が感じられ,各場面をたどっていくとストーリーが展開する。この連続性の源泉の一つに,彩飾写本の物語を語っていく連続した挿絵の形式を挙げることができよう。ロセッティのアーサー王伝説との出会いは,ダンテの『神曲』の地獄編第5曲の「パオロとフランチェスカ」中のランスロットのエピソードだとされ(注5),ロセッティとバーン=ジョーンズとモリスが出会った1856年には,もっとも偉大な書物は,聖書と『アーサーの死』であるとの意見の一致をみる(注6)。マロリー以来ほとんど広い関心を集めずにいたアーサー王物語は,1842年の『詩集』以来1885年までアーサー王物語を扱った一連の詩を断続的に発表したテニソンのおかげでヴィクトリア朝に大人気を博した。ヴィクトリア朝のアーサー王伝説の絵画的イメージの展開について見ると,1840年代には,国会議事堂の壁画装飾のテーマの一部に取り上げられ,英国における歴史画の主題として受容される。世紀の半ばにはヴィクトリア朝に特有の物語画へと変化し通俗化した。ここで,19世紀後半から20世紀前半にかけて,ドイツ版画の影響の強かった挿絵本の分野で,独自のイメージの発達が-245-
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