鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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見られた経緯に注目しておきたい。本米アーサー王伝説は彩飾写本の挿絵によってその絵画的イメージを醸成してきた歴史的背景をもっており,この物語のリヴァイヴァルのおきた19世紀後半に,挿絵の分野を活性化する役割を果たしたか,その最初かモクソン版『テニソン詩集』であった。テニソンの人気のなかで,ロセッティがマロリー編纂による『アーサーの死』(1485年のキャクストン版が,サウジーにより1817年に復刻版として出版された)を選んだ点は,アーサー王物語の原形に関心を向けたことを意味する。ロセッティも愛読したスコットの一連の歴史小説やテニソンの詩は,ヴィクトリア朝というフィルターを通して見た中祉世界を構築しており,たとえば,テニソンのヴィクトリア朝的な道徳観は,勇壮,高潔,信仰の人である理想の騎士や貞淑な女性像を詠う過程で,王国の没落の原因を道徳的な衰退に求め,物語の本質をなす人間的悲劇の要素をやわらげている。これに対してマロリーの『アーサーの死』は,信仰や忠誠と人間的な感情の間に生じる葛藤という人間ドラマの原点を,中世文学に固有なスタイルによって,力強く伝えているからである。さらにロセッティは,イメージの源泉として,アーサー王物語がマロリーによって集大成される以前にフランスで成立した『湖のランスロ』(1215-1230年の間に成立)を扱った写本(1316-20年頃)を研究した。マロリーの『アーサー王の死』第21巻から場面をとった《アーサーの墓》では,アーサー王の遺骸を前に尼僧となった王妃ギネヴィアと恋人ランスロット卿の別離の場面が横長の画面に体をそわせるようにして描かれ,さらに柩の側面に,左にアーサー王によるランスロットの騎士叙任の場面が,右に聖杯探求物語の最初を飾る円卓の場面が描かれてランスロットの物語全体の流れを暗示している(注7)。ファクソンは,『湖のランスロ』とロセッティのモクソン版『テニソン詩集』の比較を行ったか(注8)'《アーサーの墓》においてもランスロット卿のポーズはフォリオ196〔図2〕に,王妃のポーズと冠の形にフォリオ156v〔図3〕からの影響を見出すことができる。アーサー王の遺骸が柩の上に置かれている場面はヘンリー・ショウの『中世の衣装と装飾』に紹介された懺悔王エドワードの埋葬の場面に類似し,参考にした可能性が考えられる(注9)。の画家が挿絵を提供し,ロセッティは「ギャラハッド卿」「シャロットの乙女」にそれぞれ1点,そして「芸術の王宮」に2点(《聖チェチーリア》と詩の一部にある,アー1857年のモクソン版『テニソン詩集』には,ラファエル前派のメンバーを含む多数-246-

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