鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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⑪ 坐像系阿弥陀来迎図の図様と様式に関する研究研究者:奈良市教育委員会文化財課石田阿弥陀来迎図は,阿弥陀が坐像であるか立像であるかによって,坐像系と立像系とに分類することができる。平安時代から鎌倉初期までの遺品は大半が坐像系であるが,それ以降は立像系の作品が盛んに制作され,坐像系の遺品の数が相対的に減少する。そのため,鎌倉時代の来迎図の展開は立像系来迎図の成立と流布に焦点をあてて論じられることが多かったが,近年,鎌倉時代の坐像系来迎図の紹介と位置づけがすすめられ,立像系来迎図が流布したのちにも注目すべき多数の坐像系来迎図が描き続けられたことが明らかになってきた。米迎図の展開をより詳細に解明するには,それらを含む個々の作例の図様と様式の分析をさらに進めることが必要である。その一環として,本報告では鎌倉前期以降の坐像系の諸作例をとりあげ,それらか図様をどのように継承し,かつ変容させたかを探り,来迎図制作の動向を考察する。(1) 東林院本・阿日寺本東林院蔵阿弥陀三腺来迎図〔図1〕は,阿弥陀三尊が山岳を背景として飛米する情景を描いている。阿弥陀は左手の掌を立てて両手とも第一指と第二指とを捻じ,観音と勢至は左膝を立て,右膝を折って指先まで衣の内におさめ,天衣で両肩を覆う。この三尊の形姿は阿日寺蔵阿弥陀聖衆来迎図〔図2〕および輪王寺蔵阿弥陀三尊来迎図と近似する(注1)。肉身に金泥を塗り,着衣を彩色して金泥文様を施す。様式的には他の2例よりも古様で,13世紀半ばから後半にかかる頃の作風を示すが,腺像描写はやや委縮しており,古本の三尊の図様を踏襲したとみられる。三尊を対角線上に配した構図については,古い時期には平安後期の心蓮杜蔵阿弥陀三尊来迎図や長谷寺蔵阿弥陀聖衆来迎図のように観音と勢至を横位置に並べる場合が多いことから,観音と勢至の配置を山岳景にあわせて改めたと考えられる。輪玉寺本が近世の作ながら心蓮杜本と酷似した構図であることも,古様な構図の古本が存在したことを示唆していよう。阿日寺本は阿弥陀三尊と10体の菩薩を虚空に描く。宋画に倣った顔貌表現と,金泥文様を多用する点から13世紀後半の制作とみられるが,阿弥陀が椎付きの蓮華座に坐し身光を負うこと,観音と勢至が横位置に並ぶことは東林院本より古式であり,東林院本に先行する作例の図様を伝えていることも考えられる。なお,観音・勢至のはか,淳-259-

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