5),東林院本とは別の阿弥陀三尊の類型がこの時期までに成立していたことがわかる。天蓋横笛,琵琶を持つ3菩薩の図様は14世紀初頭のベルリン美術館蔵山越阿弥陀図に継承されている(注2)。平安時代においても,来迎図の一部の聖衆に図様の継承が認められるが(注3)'鎌倉時代には阿弥陀三尊と複数の聖衆の図様を継承しながら,構図,聖衆の数,景観描写などに変化をつけた作品が描かれたことが理解される。(2) 北十萬本・幽玄斎氏本北十萬本〔図3〕と幽玄斎氏本とは,どちらも阿弥陀が左足を踏み下げ,左手の掌を膝前で立てて前にむけ,両手とも第一指と第三指とを捻じる。観音・勢至の形姿と来迎雲の形状も両本は酷似している(注4)。制作時期はともに13世紀中頃を下らず(注立掌半珈形の阿弥陀は平安後期の浄厳院蔵阿弥陀聖衆来迎図に描かれているが,両本のように阿弥陀の頭部を著しく前傾させる表現は平安時代の遺品にはみることができない。観音の形姿は鎌倉初期の興福院蔵阿弥陀聖衆来迎図と酷似し,着衣や台座の蓮弁が風になびくように後方に傾く点も興福院本と同様であるが(注6)'勢至が立膝で前傾姿勢をなし,観音から画面の上方に離れた位置に配される点に独自性がみられる。北十萬本と幽玄斎氏本は,このように着衣や蓮弁が風になびく表現を用いるとともに,阿弥陀の頭部と勢至の上体を前傾させ,観音と勢至とを上下に隔てて配置することによって,降下する縦方向の運動性を強調し,動勢を強く表現している。こうした表現は平安時代の遺品にみられるゆるやかな来迎の表現とは異質であり,鎌倉時代の新たな作画傾向を示すといえる。(3) 吉祥寺本・勝顧寺本がら種々の聖衆を加えた来迎図が制作された(注7)。天蓋を捧持する菩薩を加えた東京国立博物館本,天蓋を捧持する菩薩と地蔵とを加えた奈良・大蓮寺本,23体の菩薩を加えた福岡市博物館本などがそうである。一方で,三尊の図様と構図とを改変した,独自性の強い作品も描かれた。例として,吉祥寺蔵阿弥陀三尊六地蔵来迎図と勝顔寺蔵阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図〔図4〕を挙げることができる。吉祥寺本は,六地蔵が阿弥陀を囲饒する稀な図様の作品として知られ,温和な賦彩から13世紀後半の制作と考えられる。阿弥陀と観音の形姿,風になびく蓮華座の表現は北十萬本と同様であるが,勢至が左膝を立てて右膝を折る点と,観音と勢至の両肩を天衣が覆う点とは阿日寺本に類似する。また,阿弥陀と六地蔵とを一群として描く13世紀後半から14世紀前半にかけて,北十萬本および幽玄斎氏本の図様を踏襲しな-260-
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