鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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これらにおいて,阿弥陀は印相と頭部を傾ける点が北十萬本と同様であるが,坐形は阿日寺本と一致する。観音の形姿は法華寺蔵阿弥陀三尊及び童子像と東林院本と類似し,とくに法華寺本とは垂髪が右肩で放射状に広がる形状が近似するほか,宝冠が,前面の縁に突出部が縦に並び,頂部に宝珠が載る珍しい形状であることも一致する。勢至は右手を伸ばす特殊な印相に浄厳院本と13世紀中頃の山口家蔵阿弥陀二十五菩薩来迎図との関連がみられ,横向きに描かれることについて法華寺本および鳳凰堂扉絵が先例として指摘されている(注13)。勢至の垂髪と宝冠の形状は,観音の場合と同様に法華寺本と似通う。また,観音・勢至の蓮華座はどちらも反花としていて,類例には鳳凰堂扉絵中品上生図,法華寺本,安楽舟院蔵阿弥陀聖衆来迎図などがある。崇徳寺本はか2作品の図様は,このような各種の系統の図様を組み合わせて形成されたと考えられる(注14)。わけても法華寺本との類似点が多いことは重要である。法華寺本は3幅の画面構成が特異であるばかりか,細部の図様に関しても他の米迎図とのつながりを見出しがたい作品であったが,これらの作品により法華寺本の図様が継承されたことがうかがい知られるからである。(5) 小童寺本鎌倉時代の坐像系来迎図は,阿弥陀の来迎する方向に着目すれば,画面の右下方向へ飛来する構図の作品がもっとも多い。左下方向へ降下する作品には鳳凰堂壁画の中品中生図と下品中生図,13世紀中頃の安楽律院蔵阿弥陀聖衆来迎図,14世紀前半の西迎寺蔵阿弥陀三諄来迎図〔図6〕があり(注15),安楽律院本や西迎寺本のように半珈の阿弥陀か左下に降下する作品が近世まで散見されるが(注16),坐像の阿弥陀が正面を向いて飛米する遺品は13世紀半ば以降は著しく減少することから,右下および左下ヘ米迎する構図か主として継承されたことがわかる。右下へ降下する作品のうち,特色ある構図で注目されるのは14世紀初めの小童寺蔵阿弥陀三諄二十五菩薩来迎図〔図7〕である。図様は画面左方に前景となる崖,中央に高山,右上方に遠山を配し,来迎印を結び安坐する阿弥陀と聖衆とが中央の高山を巡って飛米する(注17)。阿弥陀聖衆が山の斜面に沿って飛来する図様は鳳凰堂扉絵や天永3年(1112)の鶴林寺太子堂壁画九品来迎図,13祉紀末から14世紀初めの滝上寺蔵九品来迎図などにみられるが,本図は後方の聖衆が山の右方にまで続き,最後部の菩薩がその前の菩薩よりも画面の下方に配されていて,聖衆全体として一つの大きな旋回運動をなす点に特色がある。本図はどに阿弥陀聖衆が雄大な弧を描いて来迎する--262-

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