(6) 西教寺本例はほかに見出せない。さらに,小童寺本は他の作品にもまして阿弥陀聖衆が高所から飛来する感が強い。高所感をなす要因の一つは,中央の山に雲を巡らせ,その背後を帯状に彩り下界と区別していることであり,そのため雲海の上方から阿弥陀聖衆が一気に降下する印象を与える。もう一つの要因は,画面の左方に山崖がそびえることである。左方に山崖を描く構図は,清涼寺本,知恩院蔵阿弥陀二十五菩薩来迎図など立像系の諸作例にみられるもので,本図はこの構図を坐像系にとりいれるとともに,新たな様式に基づき山崖を切り立つ急峻な形態としたところに創意が認められる。本図の大きな意義は,このように雄大な空間表現をなして斬新な米迎のイメージを創造した点にあるといえる。阿弥陀聖衆の飛来する速度を著しく強調した作品に,14世紀前半の西教寺蔵阿弥陀聖衆来迎図〔図8〕がある。本図は来迎雲の雲脚を直線的にのばし,ぼかしを加えて気流が吹き出すかのように描写することによって,迅速性を強く印象づけている。さらに,見逃してはならないのは,聖衆の図様にも速度感を高める工夫が認められることである。西教寺本は来迎印を結ぶ阿弥陀の後方に,合掌する7体の菩薩の一群と楽器を奏でる菩薩の一群とを分けて描いていて,興福院本および14世紀初めの三千院蔵阿弥陀聖衆来迎図の画面構成と一致するが(注18),随所で図様に変更を加えている。たとえば観音は興福院本では左膝を立てるが,西教寺本では路坐し勢至とともに著しい前傾姿勢をなし,天衣が後方にまっすぐ伸びる。また,興福院本では,太鼓,笙,拍板を奏でる三菩薩が後方や斜め横を向くが,西教寺本ではそれらを前向きに改めて聖衆の体勢を進行方向に統一し,前方へ向かう動きを強調している。作者は[日米の図様をこのように改変することによって,それまでの遺品にない著しい速度感を表現したのである。ところで,西教寺本の図上には種子10字が墨書されている。これらについては山王諸杜の本地仏種子とする濱田隆氏の指摘を支持したい(注19)。それぞれの種子の示す本地仏と杜名とを比定するなら,むかって左から毘沙門(大行事),地蔵(十禅師),普賢(三宮),阿弥陀(聖真子),釈迦(大宮),薬師(二宮),千手(八王子),十一面(客人),如意輪(聖女),不動(早尾)となり,山王の主たる7社を中央に配し,左右に摂末杜を加えて構成したと解釈できるからである(注20)。ではなぜ山王本地仏種子が描かれたのか。この問題については,大宮,二宮と並び山王の中心的な祭神であ-263-
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