鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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注(2) 大串純夫「阿日寺の弾陀聖衆来迎園に就て」『美術研究』115,1941年,20-24頁。1987年,2-13頁。大阪市立美術館展覧会図録『京都・永観堂禅林寺の名宝』,1996(5) 北十萬本は13世紀前半の作とみなされる。幽玄斎氏本は,観音・勢至の相貌と,(1) 東林院本と阿日寺本の図様の類似は武田和昭「阿弥陀来迎図雑考一徳島・東林院の展開は,立像系の作品が流行したばかりでなく,こうした坐像系の作品が制作されたことによって,いっそう多様な広がりがもたらされたのである。今後,これらの作品について様式面からの分析を進めるとともに,制作事情を明らかにすることによって,来迎図の多様な展開をさらに詳細に跡づけることができると考えられる。蔵阿弥陀三難来迎図を中心として一」(『善通寺教学振興会紀要』1,1994年)にて指摘されている。輪王寺本は栃木県立博物館編集発行『栃木県立博物館調査研究報告書日光山輪王寺の仏画』(1996年)に掲載。(3) 浄厳院蔵阿弥陀聖衆来迎図と高野山有志八幡講十八箇院蔵阿弥陀聖衆来迎図における楷鼓を奏でる菩薩など。(4) 吉原忠雄「堺市北十萬の阿弥陀三尊来迎図について」(堺市博物館『館報』6)'年。載金を用いない彩色主体の表現とが鎌倉初期の興福院蔵阿弥陀聖衆来迎図と同様の趣向を示し,興福院本の様式の系譜上に位置する13世紀中頃の作と考えられる。(6) 吉原前掲論文,および拙稿「興福院蔵阿弥陀聖衆来迎図ーその図様と表現をめぐって一」(『フィロカリア』9,1992年,1-26頁)。(7) 同種の作例が近世まで多数制作されており,次の論考に挙げられている。奈良国立博物館編集発行『阿弥陀仏彫像』,1974年。光森正士『阿弥陀如来像』(『日本の美術』241),至文堂,1986年。吉原前掲論文。宮島新一「阿弥陀二十五菩薩来迎図の成立と高野山阿弥陀聖衆来迎図の伝来について」(京都大学美学美術史学研究会編『芸術の理論と歴史』),思文閣出版,1990年,436-445頁。矢島新「阿禰陀三尊来迎園」『國華』1153,1991年,27-30頁。前掲拙稿。伊藤信二「福岡市博物館蔵阿弥陀二十五菩薩来迎図J『MUSEUM』522,1994年,10-21頁。武田前掲論文。吉原忠雄「古代・中世の美術工芸品」『岸和田市史』2,1996年,635-666頁。上記で指摘された作品のほかには次の各作品がある。①随念寺蔵阿弥陀三淳来迎-265-

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