日本美術品調査報告』5〉,1995年),西蓮寺蔵阿弥陀三尊来迎図(『奈良市絵画調査報告書』3,1989年),善導寺蔵阿弥陀聖衆来迎図,江戸時代の徳融寺蔵融通念仏縁起見返絵(『奈良市絵画調査報告書』6,1992年),正法寺蔵相応院像(京都府立山城郷土資料館展覧会図録『八幡正法寺の絵画と書跡』,1987年)など。西迎寺本とサンフランシスコ・アジア美術館本とは三尊と雲の図様が酷似し,他の作品もみな阿弥陀が半珈形である。(17) 坐像系でありながら観音,勢至,天蓋を持つ菩薩を立像としているのは珍しい。立像系来迎図にはこれらの像を坐像とする例が多く,本図はそれらと逆の表現となっている点にも新しい趣向が認められる。テ御ス,大宮,二宮ノアマクダリテ,大宮ハ皆成佛道ノ機ヲ調へ,二宮ハ恋業煩憐ノ病ヲヤメ給二,我ハサラムトモガラヲ導キテ,九品ノi箪刹へ迎ヘントテ,彼陰陽二神ノ中ヨリ出給ヘバ,聖箕子トイハレ給ハ理也」「サレバ一度モマイリ,白地ニモ歩ヲ運ビテ,慈悲利生ノ本願ヲアフガセ給ハン人ハ,高モ賤モ彼和光ノ硼ニテ,九品往生ノ機根ヲ調卜思食シ,此垂迩ノ庭ニテー子平等ノ慈悲ヲ臨マムトハゲミ給ベシ,サテ櫂現垂迩ノ願巧ニコタヘテ,終焉ノ正念二住シ,和光同塵ノ級引二依テ,必九品ノ連豪二生給ヒ御マサバ,山王七杜一稲一雁豊ヲイタサントモガラヲ引導シ給へ」「山王二近付ッカマツラム人ハ,宮主宮籠ニイタルマデ,り蜀モノコラズ決定生死ヲハナルベキ者卜知ルベキナリ,(中略)所詮清浮ノ御賓前ニフレハフト,法性無漏ノ御鉢二近ヅキタテマツルガ,往生浮土ノ1造ナル因卜成二有ケレトゾ,ノ、シリアヒタリケル」(景山春樹校注『神道大系』神杜編29日吉,神道大系編纂会編集発行,1983年,88• 92 • 94頁)。『耀天記』に説かれる山王信仰の浄土信仰との関連については今堀太逸『神祇信仰の展開と仏教』(吉川弘文館,(18) 山本興二「来迎図の正面観から斜め構図への展開J(『佛教藝術』78,1970年,34-49頁),濱田隆『来迎図』(『日本の美術』273,至文堂,1989年)など。(19) 濱田前掲書。(20) これらの十社をとりあげた他の作品に大和文華館蔵山王宮曼荼羅図がある。(21) 「阿禰陀如来後二隠本垂逃シテ,神卜成テ御セバ聖員子トハ申也,聖人ノ精氣二1990年)に指摘がある。267-
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