鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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のではないだろうか。地球探険の時代の到米と共に,例えばクック船長の有名な航海に随伴したウィリアム・ホッジスのスケッチ〔図13〕が示すように,かつての捕鯨図のステレオタイプ的な極地の風景とは比べものにならないはど正確な描写が可能になった。と同時に,現地で遭遇する様々な危険についても,極めて詳細な記録が伝えられるようになったのである〔図14参照〕。そもそも氷の海に囲まれた船という構図は,すでにムーレンの版画でも見たように,伝統的な捕鯨図においてごく一般的に描かれていた。であれば,大自然の脅威(と人間の無力さ)をしばしば「難破船」に託して表現したロマン主義の時代に,この古くからあるイメージと新しくもたらされた豊富な視覚的情報とを結び合わせることに思い至った画家は,決してターナーやウォードばかりではなかったはずである(注17)。この時代,記録用の素描技術に習熟していた航海士の中には,のちに海景画家に転じた者もかなりいたが,その一人ウィリアム・ヘンリー・スミス(1788-1845)は,1836年に北極の氷上で座礁したテラー号を,ドラマティックな陰影と迫力に満ちた構図で描き出している〔図15〕。また船のモティーフを主体にしたものではないが,クリステ年》〔図16〕は,18世紀末以米のいわゆる「英雄の死」のテーマを,デンマーク生れの名高い航海者の悲劇的な最後に適用している。ターナーに先立つ例は,こうした油彩画にとどまらない。国益を賭けた極地探険の遭難事故というセンセーショナルな話題は,より大衆的なカリカチュア等によって,はるかに速やかに,且つはるかにインパクトの強い表現で揺かれていたのである〔図17参照〕。以上,ターナーのく捕鯨〉主題の発想源をめぐって,彼に先行する作例を様々なジャンルの中に見てきた。結果的にはターナーが用いた源泉を特定するどころか,逆に可能性の枠をさらに押し広げることになったわけだが,それは翻ってみれば,彼の作品を生み出した土壌がいかに肥沃であったかを証しているのである。ユリバス号とテラー号》〔図18〕を制作した(注18)。とはいえ,ターナーの作品の真の後継者を探そうとするならば,むしろ19世紀半ば以降英国に代わって捕鯨産業の中ィアーン•J.L.ポートマン(1799-1867)の《ヴィートゥス・ベーリングの死,17411847年,ターナーの熱心な追随者の一人であったジョン・ウィルスン・カーマイケル(1799-1868)は,前者の4点の絵をまさに総合したかのような壮大な画面《南極の-275-

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