鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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E.グレイ共編の『H.M.S.エリバス号とテラー号の航海における動物学』(1844年Studies, Vol. 5 No. 2 (1985), pp. 21-23 参照。(13) Bicknell, ibid., p. 23. (14) 《万歳I捕鯨船エリバス号I》の右奥の母船の上にも,脂肪を採取するために切断された鯨の頭部が吊されているのが幽かに見えている。(15) 注11参照。なお19世紀前半に行なわれた科学的調査の航海については,TonyRice, を,またそれらの航海で記録係を務めた画家たちについては,JohnFrazier Henry, Early Maritime Artists of the Pacific Northwest Coast 1741-1841, Van-衝撃に耐えられるように設計された捕鯨船が利用されることも多かった。それがターナーの「捕鯨船エリバス号」という連想(もしくは混乱)を惹起したのかもしれない。(16) 注11参照。ウォーレスは画家の発想源として,特にジョン・リチャードスンとJ.に刊行開始)と,その序説にあたるジョゼフ・ダルトン・フッカーの『航海の概要』(1844年)を挙げている。しかしながら,19世紀の鯨学の権威とされたウィリアム・スコーズビーの『北極地方に関する記述,並びに北方の捕鯨についての歴史と解説』(1820年,〔図14〕参照)をはじめ,ターナーが参照しえた同時代の博物誌や航海記(およびその挿絵閃版)はほかにも多数あった。(17) 極地を描いた絵画についてのまとまった研究はないが,本稿の執筆に当たっては,限ったが,C.D.フリードリヒの名高い《難破船》(1823-4年,クンストハレ,ハンブルク)は,やはりウィリアム・パリーによる1819■20年の北極探険に想を得たと考えられているし,またフランソワ=オーギュスト・ビアール(1798-1882)は,1839年に北極地方の航海に参加した体験を基に一連の幻想的な極地風景を描いている。(18) おそらくカーマイケルは,同年に出版されたエリバス号の南極航海記(ジェイムBritish Oceanographic Vessels 1800-1950, The Ray Society, London, 1986 couver/Toronto, 1984 を参考にした。実際のところ南北の極地探険には,氷のConcise Catalogue of Oil Paintings in the National Maritime Museum, Antique Collectors'Club, London, 1988/Michael Jacobs, The Painted Voyage, The British Museum, London, 1995/Peter Neill, On a Painted Ocean, New York & London, 1996 を参考にした。また今回は英国の作例に-278-

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