鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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⑬ 韓国植民地期の美術ー朝鮮美術展覧会をめぐって一研究者:成城大学大学院博士後期はじめにこの研究は韓国で1922年から1944年まで23回開催された朝鮮美術展覧会(以下鮮展)を展覧会自体の性格を中心として考察するものである。‘朝鮮’という国名が示すとおり,鮮展が開かれた時期,韓国は日本の植民地であった。1910年の日・韓併合以後,日本は韓国に近代化にともなうあらゆる制度と文物をもたらした。それは美術の分野も例外ではなかった。なかでも,開催と同時にたちまちもっとも権威ある発表の場として不動の地位を築いた官立公募展として,鮮展が果たした役割はきわめて大きい。その鮮展を創設し運営したのは,植民地侵略統治機関である朝鮮総督府だった。鮮展で活躍した韓国人画家たちは,1910年前後の時期から,日本へ留学するか日本人教師から教えを受けることによって美術を習った人たちだった。彼らは鮮展を通して画家としての名声を得,韓国近代美術をつくっていたのである。さらに,植民地期が終わってからは鮮展を受けついだ大韓民国美術展覧会のなかで,韓国美術界の中心勢力になった。したがって,鮮展開催期の状況を含めてその出品作品に関する研究は,韓国近・現代美術の性格究明のために欠かすことのできない課題になるのである。と同時に,この時期の韓国の美術は日本近代美術の一部分でもある。鮮展は日本の官展であった文展および帝展を手本としてつくられ,植民地朝鮮ではそれらの展覧会に相当する権威をもっていた。植民地政策との関わりはもちろん,そこから生まれた美術制度の面からも,鮮展に関する研究は日本の近代美術を語る上で,興味深いテーマになるだろう。ここでは,まず,鮮展に対する韓国国内の評価について簡単にふれておくことからはじめたい。次に,鮮展創設当時の状況と運営を考察する。それから,入選作品の特徴を分析することになるが,ただし,ここでは,作品ひとつひとつに関する詳細な記述は紙面の都合上省き,全般的な特徴と分析の仕方を述べるにとどめておくことにする。金恵信-283-

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