部の肉取りや服制,衣嬰表現も的確で彫技も洗練されているが,まとまりのみに終始し,生気に希薄の感かあり,制作はやや下って,室町初期頃かと思われる。本像には,真宗系肖像彫刻が定型化され,一方では肖像としては形式化,観念化された姿を如実にみることができる。親鸞の門弟,平塚入道了源像とも云われてきた像である。寺伝では親鸞像と伝え,また「安城御影」など舟像の画像に似ていない東国的解釈の親鸞像が初期真宗教団期に存在しておかしくない点からも,充分に親鷺と目される作例である。等身像で内衣・法衣を着け,その上に袈裟を着用して践坐する。両腕は屈臀して時宗肖像のように合掌形とするところが,真宗肖像としてはまことに珍しい。両袖先は両膝脇から遊離して三角に張り出す。寄木造で玉眼嵌入,木寄せは頭部前後矧ぎ,体幹部前後左右の四材矧ぎとし,これに背板材,両体側材,脚部材,袖先材,両手首で矧ぐ合掌手材などを矧ぎ寄せる。もとは彩色仕上げと思われる。親鶯像とするならば,やはり壮年期の面貌を写したものと考えられる。表情は比較的穏和であるが,しっかりした眉や日鼻だちに意志の強さが内在しているようで,理想化はあるが,写実に優れる。体躯も量感があり,また整斉されているが現実感のある着衣表現など,洗練された作風が窺われる秀作である。制作は鎌倉時代,十四世紀に懸かる頃かと思われる。本像は,古作例の中の洗練度の高い作例で,合掌形という真宗系肖像ではその後,用いられない形式をしている点,注目される。性信は親鸞の高弟で,東国の初期真宗教団において,真仏上人率いる下野・高田門徒とならぶ勢力をもった,下総・横曽根門徒の祖である。等身像で内衣・法衣を着け,その上に細い平帯状の威儀をつけた袈裟を着して訣坐する。両腕は屈腎して膝上に置き,右手に払子を執るが,これは後補であり,果たして当初より払子,念珠を持物としていたかは分からない。両袖は膝脇より地付きにして大きく左右に張り出していて特徴的である。寄木造で頭部・体幹部とも前後矧ぎを基本とし,これに脚部材,袖先材,袖口部材,両手首などを矧ぎ付けている。像内に彩色・修理の墨書があり,これによると延文六年(1361)に三度目の彩色がされ,以後もしばしば彩色・修理が加えられたことが知られる。額に跛を刻んだ面部は,鼻筋大きく,眼は伏し目で結んだ唇も大きく,頂部の平ら(3)伝親鸞聖人坐像神奈川・善福寺像高75.2センチ〔図3〕(4)性信上人坐像群馬・宝福寺像高84.0センチ-295-
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