鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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ったこと,作行きが建武元年造立の長楽寺一鎮上人像に比肩する優作である点を考慮すると,この像こそが,実質的に七条道場金光寺を開山,遊行上人の寺とした,遊行四代呑海上人(嘉暦二年没)の没後間もない追慕像ではないかと思えてくる。像主に注目される作例である。時宗を実質的に教団組織化し「大上人」とも呼ばれる二祖真教の像で,常称寺では開山像でもある。等身像で内衣・法衣を着け,その上に威儀をつけた袈裟を着し,正面を向き,合掌して坐す。脚前中央に法衣の紐の端を二条みせる。袖先の袂を両膝脇に自然にたわめるように張り出す。寄木造で玉眼,頭部・体部とも前後矧ぎを基本とし,これに両体側材,脚部材,両袖口材,合掌手などを矧ぎ寄せる。像表面は彩色仕上げとする。面貌は中風を病んで顔面を歪めていたという像主の特徴を,多くの作例同様そのまま写し取っている。体部はゆったりと量感のある造形をまとめ,着衣の衣襲は深く弧を描くような形で,左右相称に刻まれ,長楽寺諸像と同様の慶派系の作風を示す。ただし,面貌の写生は観念的,類型的といえるもので,体部の衣文表現にも硬化がみられ,制作時期の下降は否めない。十五世紀に入っての七条仏師の作と思われる。本像は時宗肖像彫刻の中心を成す慶派系作例が定型化し,遊行派を中心に全国に波及してゆく様をよく示す作例といえる。宗祖一遍上人および二祖他阿真教の弟子で,彦根・高宮道場高宮寺の住持となった初代切阿上人の等身像である。形姿は内衣・法衣を着け,その上に袈裟を着装し,正面を向き,合掌して坐す。袖先を両膝脇に小さめに張り出す。寄木造で玉眼,構造は頭部を前後矧ぎ,体幹部を前後左右の四材矧ぎとし,これに両体側材,脚部材,両袖口材,合掌手などを寄せる。大柄な体躯の像で,像主の偉丈夫な様が窺われる。像内墨書により嘉暦二年(1327),仏師法橋仙賢の作と知られ,切阿上人示寂の三年前につくられた痔像であるとわかる。面貌は寿像らしく,生き生きとして,個性描写に優れている。これに比べると,体部は量感豊かで造形は的確であるが,衣文彫出にはかたさが認められ,七条慶派仏師系の作例にみるような,歯切れの良い個性的な表現は希薄である。本像は時宗関係肖像彫刻では在銘最古の作例であり,南北朝期に慶派系の時宗肖像彫刻の定型が出来上が(8)他阿真教坐像広島・常称寺蔵像高82.0センチ〔図7〕(9)切阿上人坐像滋賀・高宮寺像高87.0センチ〔図8〕-298-

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