注芸術の普遍性とそれが杜会に果たす役割の過剰な評価という点では,コインの裏表というべき理念なのである。加えて,ソヴィエトにおける全体主義の台頭やドイツにおけるナチズムの出現が,アヴァンギャルドを死に追いやったという従来の見解に対しても,ここ数年幾つかの異論が提示されている。とりわけ,ソヴィエトのアヴァンギャルド芸術家の多くが,芸術の個人的側面を排除し集団主義を目指した点,芸術によって社会の変革を敢行しようとした点などに着目して,全体主義芸術=社会主義リアリズムとアヴァンギャルドの間に通底する理念を見いだそうとする研究が,旧ソ連出身の研究者によってなされている(注7)。こうした議論には,個々の芸術家の営みを無視して,アヴァンギャルドを一枚岩的運動体とみなすという問題点があるものの,実際に構成主義/生産主義芸術家の多くが,1920年代後半には写真やモンタージュ,タイポグラフィなどを用いた,具象的でナラティヴな表現へと「転向」している以上,構成主義とリアリズムを徹頭徹尾対立する存在とみなすことにも限界がある。そもそも,1920年代に入り突然リアリズムが「復活」したわけではなく,アカデミーやく移動派〉の伝統は,アヴァンギャルドが一大勢力を誇っていたとみなされがちな革命前後の時期にも,地下水脈のごとく受け継がれていた。だからこそ,ヴフテマスにもリアリズム芸術家の姿が見られるのである。それゆえ,アヴァンギャルドとリアリズムの関係は,政治的圧力の結果起こった入れ代わりという通時性から把握するよりも,同じ近代を別々に生きた芸術の闘争と融和という共時性において理解するべきであろう。したがって今後は,今回の調査を通じて得られた新しい枠組みをふまえ,従来アヴァンギャルドとは異質な存在とみられていたリアリズムも視野に入れた上で,アヴァンギャルドの活動を批判的に検討し直したいと思う。(1) さらに,こうした教育活動に指針を与え,芸術理論の構築を目指すための機関として,インフク(芸術文化研究所)の創設が計画され,1920年5月にワシリー・カンディンスキーを指導者として設立された。彼は,「個々の芸術のみならず,全体芸術の基本的要素を分析的・総合的に研究する」ことを目指す計画書を作成したが,芸術を心理的作用と関連づけてとらえる彼の計画は,「芸術を主観的・直観的要素を含まない物質的な客体とみなす(ボウルト)」インフクの同僚たちに拒絶-309-
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