つまり,未分化で全権的な存在であるとする。このことは,前ホメロス段階のギリシヤ人のプリミティブな心性に対応し,擬人化されたオリンピア的神格とは,対立するものだとする。ハリソンは素材として使っていないが,ヘシオドスの「神統紀」のヘカテに関する記述は,全権的な女神の存在を示している。そこには,「(ヘカテは)大地にも天にもまた海にも権能を保有したもう」(注13)とある。続いて,家畜の繁殖の祈りも,航海の無事の祈りもヘカテに捧げられる。このことは,天空と海と大地の三界をゼウスとポセイドンとハデスに分配するという,オリンピア的権能の分化に対立する。ここに,ヘカテに代表されるような前オリンピア的神格への信仰が,ヘシオドスの時代まで生き残ったことを読み取ることができる。現在の前オリンピア的神格の評価として,ブルケルトの見解を挙げておこう。「(青銅器文明が)発見されるやいなや,ホメロスの神々のオリンピア的で擬人的で多神教的な世界の対抗物が捜し求められた。それは,大地の力の優越,母系的で非擬人的な神々,もしくは,多神教に変わる単一の神格である。しかし,このような期待と理論は,わずかな部分しか確かめられていない。」(注14)このように,ブルケルトは,全面的ではないが,おおむね否定的な態度をとっている。ブルケルトがこのように前オリンピア的神格に懐疑的なのは,一つには,前オリンピア的神格を規定するのに使われたプリミティブという観念にあると考えられる。「見慣れないものは何でもプリミティブと理解された。それは,イギリス人の自認する進歩主義に対立する,始まりの未到達の段階とみなされた」(注15)。もちろん,プリミティブという観念を相対化して,その有効性を問う必要はある。また,ハリソンの資料の使い方には,必ずしも厳密とはいえないところもある。しかし,前オリンピア的神格について,ハリソンが提出した膨大な資料をすべて疑うことはできないと私は考える。あらためて,胸から生える翼の問題に戻ると,それを持つ三種類のもの,つまり,喧物,豊饒信仰に係わる神格,女神は,いずれも上で見た前オリンピア的神格に関わるものであることが,重要である。このことから,前オリンピア的神格の姿の一つとして,胸から翼の生える姿があったと考えることができる。「誕生のピトス」の頚部図像に戻ると,登場する人物像は,すべて胸から翼を出している。このことは,頚部図像全体が前オリンピア的神格の世界を表わしていることを示している。胸から生える翼以外にも,頚部図像を前オリンピア的神格と結び付ける要素がある。椅子に座る大きな人物像は,両手をひろげ肘から先を上にあげる独特のポーズをしている。これが,-327-
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