鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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―-328-注16)。また,前オリンピア的信仰を,青銅器時代から鉄器時代の始まりに,東地中海に1969 (1970),229. (3) K.Schefolt, FrUhgriechische Sagenbilder, 1964,30. Gotter -und Helden-「ポトニア・テロンのピトス」の中央の女神のポーズに一致し,さらに,そのポーズが青銅器時代の女神〔図22〕にまでさかのぼることは,以前別のところで示した(注存在した女神信仰の一つと考えれば,シリアの女神像につながる正面向きの顔を,前オリンピア的神格に結び付けて考えることも可能だろう。ハリソンの前オリンピア的神格についての論証のうち,卓抜なものとして,パンドラに関するものがある。オリンピアの神話では,パンドラは男性を誘惑し,人類に諸悪をもたらす存在であるが,本来は,大地の富を持った箱の神格化であったことを,ハリソンは考古学資料と文献資料を駆使して,巧みに表わしている(注17)。このような,パンドラの矮小化は,父権の強いギリシャの社会に,前オリンピア的神格の存在が抵触したからだと考えられる。そして,このように,前オリンピア的信仰の読み替えの結果がオリンピアの信仰であるという一つの事実は,「誕生のピトス」の解釈によい平行例を与える。前オリンピア的信伺の中に,おそらく,頭から神が生まれる物語があったのだと思われる。それが,女神から男神が生まれるのか,男神から女神が生まれるのか,今は定かではない。その物語が読み替えられて,アテナがゼウスの頭から生まれる奇跡の話ができあがったのだ,そして,「誕生のピトス」の頚部図像は,その途中過程を記録するものだと考えることができる。〔図7〕のエイレイシャや〔図17〕の精霊のように,前6世紀には主たる神のはしにおいやられた前オリンピア的神格が,かつては中心の位置にいたことを,「誕生のピトス」の頚部図像は示している。なお,「誕生のピトス」,「ペルセウスとメドゥーサのピトス」,「ポトニア・テロンのピトス」という呼称はキャスケイによっている。(1) J.Sch註fer,Studien zu den griechischen Reliefpithoi des 8. -6. ]ahrhunderts v. Chr. aus Kreta, Rhodos, Tenos und Boiotien, 1957, Kallmunz, 71-75. M. E. Caskey, "Notes on Relief Pithoi of the Tenian-Boiotian Group," American Journal of Archaeology, 1976, 27. 28. (2) N. Kontoleon, "Frtihgriechische Reliefkunst," Archaiologike Ephemeris,

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