5.描法の特色谷文屈にとっては信頼のおける写生であったに違いない。次に,それら写生と『名山図譜』の関係をみる。吉野山は,《大和巡画日記》に文麗自身の写生があった。『名山図譜』では,《大和巡画日記》で描写された吉野山の複雑な起伏は簡略に整理され,前景で大きく扱われていた桜の木も小さく改められている。一方,白雲の写生によって制作したとされる図はどうか。たとえば象頭山では,白雲の図は,周辺を含めた広々とした景観を描く点は文屎の強い影響下にあることを示している。『名山図譜』掲載図は,山の形態,前景に水田を配する構成を白雲の図によりながら,山の左側の高さと量感を増し,山の右側では尾根や谷をあらわす線とわずかに樹木をそえるだけにすることで,より印象的な山の姿に仕上がっている。また,白雲の図では前景の山へと続く二本の道が,『名山図譜』では一本となり,山の方へと向かう人物や牛馬か描き加えられている。『名山図譜』制作に際して,描写された山の配置など,景観の特徴を形成する基本的な構成はそのまま利用して,作品に仕上げるために画面のエ夫が行われていることが確認できる。描法については,東京芸術大学の『創立100周年記念貴重図書展』図録のなかの武田光ー氏による『名山図譜』の解説があり,「閃は,実在の山を描き分けるという本書の性格上,描線主体の謹直な写生体で,遠近関係や,山の立体感の表現には西洋画の影響も見出せる」と記述されている。武田氏の解説の挿図となっている奥州の朝日岳は,尾根や谷の描写は近代絵画の陰影法を思わせるし,寛政五年(1793)の《公余探勝図》での西洋画学習の成果が,この『名山図譜』でも活かされていることを示している。一方で,「描線主体の謹直な写生体」とは異なる描法による山がある。たとえば,彦山は主山および周辺の山が,ことごとく黒々とした姿で描写されており,修験の山として,ふさわしい緊張感ある姿であるが,主山の稜線は不鮮明であり,また奥行き感が少ない。この黒々とした山の描写に着目してみると,彦山のほかにも,山全体を黒々と描写した図に近江の三上山があり,点描を思わせる描写は,米苦,米友仁父子のいわゆる-338-
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