鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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ごう9)'針生が「作家と彼を支える民衆」の「造形感覚の連帯性」として(注10)伝統をなくない(注7)。論旨は基本的に,国際的特色と日本的特色とをともに獲得するようにという要請で共通する。とはいえ“日本的なもの”の主張が政治的“反動”へ通ずる危険性が痛感されていた以上,否定されるべき“日本的”と肯定されるべき“日本的”が区別されなくてはならなかった。批判された“日本的なもの’'は枚挙に暇がない。が,それは具体的な過去の作品に即してというよりむしろ,今日なお生き延びている感覚主義,外界に対して主体を確立していない素朴な自然主義,モティーフに「心境」を込めたがる「私小説」的性格など,現在の作品への批評の中で語られている。一方,学ぶべきものとして,戦前すでに価値が認められていたものとは異なる具体例をあげた発言がどれほどあるかを調べると,これも実はきわめて少ない。たとえば岡本太郎はよく知られているように縄文土器に人々の眼を向けさせた。また批評家の針生一郎は神社の絵馬や泥絵のような「民衆の伝統」から何かをひきだす可能性を示唆した(注8)。前衛美術関係で,戦前すでに認められていた価値との対立も辞さない見解としては,他にめぼしい例はない。多くは伝統を遵守すべき形式としてではなく現代に活かし得る本質においてとらえるように,そのために過去の遺産を新しい視点で見直すようにという提唱に終始する。岡本が伝統を「生命力」や「業」として(注定義するのも,こうした本質としての把握だが,上記のように彼らには具体的作品と観念との間で思考の往還運動を維持しようとする意識が認められる。しかし,これはむしろ例外なのだ。何故過去の具体例に即して“日本的なもの”が語られることか,はとんど全くなかったのか。その根本的理由は,本論の冒頭にあげた一般的な実感,すなわち“日本的”を意識化の必要のない自明性としてとらえる実感に他ならない。つまり“日本的なもの”は日本人にア・プリオリに与えられているとする実感には,根本的な批判は加えられなかったのである。以下,“日本的なもの’'をめぐる言説の一般的傾向をまとめよう。まず伝統を形式ではなく本質において批判的に継承すべきとしたことは,昭和の軍国主義が“日本”に装わせたもの,いわば戦後の人間にとっての“けがれ”に対して,“みそぎ”としての意義をもった。先に引用した長谷川三郎のあたり前の主張が,あたり前であり得る状況を開いたのである。そしてモダニズムと伝統の接続を計る意識は,モダニズム絶対-26-

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