—新しい教会の形式としての廃墟一~⑳ カスパル・ダーフィト・フリードリヒの『雪の修道院墓地』研究者:洗足学園大学非常勤講師長谷川美子ドイツ・ロマン主義を代表する風景画家カスパル・ダーフィト・フリードリヒ(1774-1840)は,生涯にわたって多くの廃墟の絵を描いた。中でも,『雪の修道院墓地』(1817-1819, 1945年に焼失)は,その121cmX170cmという大きさにおいても,フリードリヒの代表作の一つである。そこに描かれた雪の中のゴシック教会の廃墟,墓標,修道士の葬列,棚の木など,同じモティーフは1809-1810年の『棚の森の僧院」(ベルリン,国立絵画館所蔵)にも見ることができるが,廃墟を中心的なモティーフとしながらも,表現形式・内容の両面で,両者は大きく異なっている。『雪の修道院墓地』での建築要素の優勢,画面の建築的な構成には,画家の建築そのものへの関しが認められ,フリードリヒが,廃墟ではない,実際の教会の建築計画に関わっていたこととの関連が重要であると思われる。フリードリヒは,『雪の修道院墓地』が制作されたのと同じ時期に,シュトラールズントの聖マリア教会再建のための内部装飾の構想に取り組んでいた(ニュルンベルク,ドイツ民族博物館所蔵の構想図)。さらに,さかのぼって1805年から1806年の間にも,リューゲン島のフィッテの礼拝堂の構想図を制作していた(ニュルンベルク,同博物館所蔵)。これらの構想図は,いずれも,フリードリヒが実際に建てられる(再建される)べき教会を想定して制作されたものであり,したがって,そこには画家の考える教会のあるべき姿,理想の教会像を認めることができる。このような教会建築に対する画家の積極的な取り組みと,教会の廃墟が同時期に描かれたことは,フリードリヒの場合,決して矛盾することではない。廃墟と再建計画は,対立するものではなく,むしろ,『雪の修道院墓地』の廃墟の光景は,聖マリア教会の再建計画との取り組みから生じた,再生する教会を描いたものと考えられる。さらに,筆者は,破壊された教会にも,廃墟であること自体に,より積極的な意義があると考える。本研究は,『雪の修道院墓地』を建築計画との関連から捉え,この廃墟の絵が教会の再建計画に関わるものであること,そして廃墟というあり方自体も画家によって望まれた教会の形式であったことを明らかにするものである。そのために,ニュルンベル-358-
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