クの建築構想図の観察を通じて,画家の理想とする教会像を求め,また,フリードリヒが廃墟を描く際に基にした実在の教会についても,その描かれた建築部分を中心に同様の調査を行ない,さらに,当時のゴシック教会をめぐる,ドイツでのゴシック・リバイバルの思潮に関する文献を収集することが,今回の調査の主要な目的であった。1.『雪の修道院墓地』『雪の修道院墓地』は,これに約10年先立つ『樹の森の僧院」と比較すると,その違いが明らかである。『棚の森の僧院』は,フリードリヒの風景画に繰り返し登場する実在の廃墟,グライフスヴァルトのエルデナ修道院(シトー派修道院)の聖堂西ファサードが,入り口の上に格子をはめた窓をつけて描かれた。入り口の前に十字架が立てられ,その横に棺をもった僧侶が立ち,その後に僧侶たちの列が続く。廃墟の窓からは,ちょうど半分の高さの所から明るくなった空が見え,廃墟の後の位置に立っている梶の木は,もやの中から突き出るように,空に向かって自由に枝をのばしている。全体は平面的に描かれ,もやにおおわれて形態も明瞭に示されていない。それに対して,『雪の修道院墓地』では,冷え冷えとした空気の中で,すべては明瞭に,写実的に描かれている。三次元的な奥行が示されていて,真っすぐに引かれた地平線,垂直に高くそびえる内陣と真っすぐにのびた棚の木の直線が支配的である。画面を上下に貰く前景の二本の樹の木は,トリプティークのように画面を三分割し,その間から見える廃墟は,ファサードが無残に破壊され,入り口の部分だけしか残っていないのに,内陣は圧倒的に高く,窓の部分はほとんど損傷を受けずに,弯窟まで保たれている。そして,輝く十字架を伴った祭壇があり,その前には白い垂れ衿を着けたプロテスタントの牧師が立っている。そこに向かって左から二列で歩いていく修道士の列は,低い段差のある階段を昇っていき,先頭の棺を担った修道士は,今まさに入り口をくぐろうとしている。フリードリヒは,『雪の修道院墓地』と前後して,やはり高いアーチがそびえる教会の廃墟とプロテスタントの牧師を描いた作品,『廃墟としてのマイセンの聖堂』を制作した。この早くに消息不明となった作品が制作されたことを伝える唯一の手紙の中で,画家は,作品の説明を行なっている(資料1)。その中の,無傷の聖堂を廃墟として描いたこと,「寺院とその僕の栄光の時代は去り,すべてが破壊されたところから別の時代が」始まり,それがプロテスタントの信仰であるというのは,『雪の修道院墓地』の-359-
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