3. リューゲン島のフィッテの礼拝堂の構想図1801年の最初のリューゲン旅行の時に彼と知り合うようになった。コーゼガルテンのような飾り燭台を伴って,真ん中の一番高い位置に十字架を掲げているが,このような祭壇は,『雪の修道院墓地』の廃墟の入り口からも見ることができる。フリードリヒは,すでに1805年から1806年にも,リューゲン島のフィッテの礼拝堂の構想図を制作していた。この礼拝堂は,リューゲン島の詩人で,牧師であるコーゼガルテンの発案によって計画されたものであった。コーゼガルテンは,当時のポンメルンの精神運動において重要な役割を果たした人物であるが,フリードリヒの師クヴィストルプの親友でもあり,フリードリヒは,師を介して彼のことを知り,おそらく自然叙情詩の中で歌われた,切り立った断崖や,梶の木,巨人塚などは,フリードリヒが好んで描くようになるモティーフである。リューゲン島のアルテンキルヒェンの教会の牧師であったコーゼガルテンは,野外で礼拝を行なうことを好み,彼が漁村のフィッテで教区民のために行なっていた「海岸の説教」は,出版もされ,有名になっていた。コーゼガルテンの野外での説教には,カトリックでは教会が「神の家」であるのに対して,必ずしも教会建築との結びつきを必要としない,プロテスタントの教会概念が反映されており,彼は,「神の言葉をまったく普通の場所で,家の中で,あるいは空の下で,説教すべきだ」(ルター)と説く,このようなプロテスタント的立場を,独特の自然観でもって実践していた。「海岸の説教」は,しばしば悪天候によって妨げられたので,フィッテの教区民のための礼拝堂を建てることが計画されると,その野外での説教に感激していたフリードリヒは,礼拝堂のための設計図を制作した。(これも,実現されなかった。)ニュルンベルクのドイツ民族博物館所蔵のこの礼拝堂の建築に関する構想図(祭具を除く)は,以下の7点である。「塔のある卵形の空間の設計図」(平面図,ペン,淡彩,6.8cmX12.4cm) 「塔のある円形建築」(外観,ペン,淡彩,12.OcmX 12. 0cm) 「八角形の空間の設計図」(塔の上階の平面図,ペン,淡彩,9.1cm x 10. 4cm) 「円形建築の立面図」(内部,ペン,淡彩,8.0cmX12.4cm) 「椅子,柵のある祭壇」(ペン,淡彩,9.7cmX 15.5cm) 「説教壇の上の牧師」(ペン,淡彩,11.0cm x 7. 7 cm) -362-
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