鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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次にその画面を見ると,川のほとりに竹が生い茂る中に貴女の姿をした春日大明神が影向し,それに相対して藤原光弘が描かれている。ここからは竹が家の繁栄を象徴するものとされていることが伺えるであろう。第三段光弘は夢想により竹林殿を造営し,再び春日大明神は藤原吉兼に託宣を下す。藤原吉兼が夢に,家の西南の竹林のうへに貴女飛来ての給やう,我は汝が氏,春日大明神也。家たかく,竹しげくして,竹林園に似たるゆへに,この所に来宿。もし竹しげくさかりならば,汝か子孫繁昌すべしと被仰と見けり。やがて,杜をたて神をあがめたてまつりて,なかく神竹を切るべからざるよし,起請をかきけり,いまに脩竹いよいよかにして,梁園にことならずとなむ。ここからは,よりはっきりと竹の持つ意味を読み取ることが出来る。まず,春日大明神は吉兼の家が「家たかく,竹しげくして,竹林圏に似たるゆへに」影向したのであり,この竹林には,いわば神の依り代としての性格を認めることが出来るだろう。さらに注目すべきなのは「もし竹しげくさかりならば,汝が子孫繁昌すべし」という春日大明神の言葉である。ここには竹林の繁茂と子孫の繁栄が重ねられている。それ故に吉兼は「神竹を切るべからざるよし」の起請文を書いたのである。画面には家の中に眠る吉兼夫妻と,その庭先の竹林に貴女の姿の春日大明神が影向する有様が描かれている。この二つの場面は,家と樹木の関係を端的に示していると言えるであろう。この場合の竹は,いわば家の「繁昌」のシンボルであった。また,ここで竹という特定の樹木が選ばれた意味にも注意すべきであると考える。そこには竹の持つ繁殖力の強さが投影されているのであろうが,さらに,竹と西園寺公衡の関係をも考慮すべきではなかろうか。公衡は「竹内左大臣」「竹林院左大臣」などと呼ばれており,この二つの説話は公衡の西園寺家の繁栄を暗示するものとも考えられよう(注5)。以上,『春日権現験記絵』の冒頭のふたつの場面から家と樹木の関係について見てみたが,次に文献史料から中世の人々の家と樹木をめぐるイメージを探ってみたい。中世の人々にとっては家は単なる居住空間ではなかった。民俗学・人類学など分野では,そこは外界の俗なるカオスの中に創られた聖なるコスモスであったとされている(注6)。一般に家の普請に際しては様々な建築儀礼が付属する。これは建築にあた― 家と樹木-368-

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