⑫ 「聖母被昇天に際しての使徒トマスヘの聖帯の授与」のフィレンツェ型図像の成立について研究者:お茶の水女子大学博士課程金原由紀子「聖母被昇天」から派生した「聖母被昇天に際しての使徒トマスヘの聖帯の授与(以下,聖母被昇天と聖帯の授与)」はイタリアにおいて13世紀末以降造形化され,特に14世紀半ばから15世紀にかけて好んで取り上げられた主題である。『黄金伝説』に述べられた「聖母被昇天」が聖母信仰の隆盛に伴って西欧中で礼拝像として造形化された一方で(注1)'同じ『黄金伝説』中で信憑性の薄い伝説として紹介された「聖母被昇天と聖帯の授与」は特にトスカーナで繰り返し表現された。イタリアにおける「聖母被昇天」の主題の展開についてはこれまで数々の研究がなされてきたが,「聖母被昇天と聖帯の授与」の主題は常に「聖母被昇天」の一様相として扱われてきた(注2)。ファン・オスが指摘したように(注3)'当初は「聖帯の授与」は「聖母被昇天」に確証を与えるために付与された主題であったが,14憔紀以降フィレンツェ周辺で普及した「聖母被昇天と聖帯の授与」の図像に限っては,1141年にプラートの一市民によりエルサレムからプラートに持ち込まれ,1173年にプラート大聖堂に寄進されたとされる聖帯の聖遺物との関連を考慮に入れるべきであるように思われる。後に述べるように,「聖母被昇天と聖帯の授与」の図像としてはオフナーが挙げたシエナ型とフィレンツェ型の2種類かあり(注4)'オルカーニャによるフィレンツェのオルサンミケーレ教会のタベルナコロはフィレンツェ型図像の原型と考えられてきたが,プラートの聖帯崇拝を考慮に入れるならばフィレンツェ型図像の起源はむしろプラートに求められるべきであろう。本稿はプラートに残る造形作品及び文献資料を元に,「聖母被昇天と聖帯の授与」のフィレンツェ型図像の起源をたどる試論である。1.シエナ型とフィレンツェ型の「聖母被昇天と聖帯の授与」の図像スポレートのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会の13世紀末の現存最古の「聖母被昇天と聖帯の授与」の壁画〔図1〕は,主にフランチェスコ会が普及させた肉体を伴う聖母被昇天Corporealascensionの教義との関連が深い作例である。マンドーラの中に聖母が立つ13世紀後半にフランスで流布した図像が採用され,使徒トマスと共に聖フランチェスコが描き込まれている。また,同主題は13世紀以降典礼書の被昇-371-
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