から6ぶ1392■95年のアニョロ・ガッディによるプラート大聖堂聖帯礼拝堂の聖母伝の壁天の祝日のイニシャルに簡潔な構図で多数表現された。だが,シエナにおいては14世紀以降,聖母を賛美する礼拝像として独立したパネルに「聖母被昇天と聖帯の授与Jが表現され,アンドレア・ディ・バルトロのパネル〔図2〕に見られるように,その図像は以下のような特徴を備えていた。聖母は白い衣を身に付けて真正面を向いて天使が支える雲の上に腰掛け,両手を胸の前で合わせて上方に視線を向ける。使徒トマスはしばしば後ろ向きで表され,聖母に比して小さなスケールで描かれる。聖帯は空中に浮いているか,使徒トマスが両手で既に受け取った後の状態にある。ファン・オスによれば(注5)'シエナでは被昇天は栄光に満ちた幻影として表現され,出来事の超自然的な側面を強調するために空の墓や草花があふれる墓のモチーフが付け加えられた。ここでは,使徒トマスも出来事に確証を付与するためのモチーフ重視されず,際立った正面性により聖母の高貴さと威厳が強調されている。これに対し,オルカーニャのオルサンミケーレのタベルナコロ〔図3〕が原型と考えられてきたフィレンツェ型の「聖母被昇天と聖帯の授与」の図像では,天使に支えられた雲の上のマンドーラに腰掛けた聖母は正面よりやや左を向き,使徒トマスに視線を向けながら片手ないし両手で聖帯を渡す。聖母の左下にほぼ同スケールで表された使徒トマスは片膝をつき,両手を高く伸ばして聖帯を受け取る。ここでの聖帯は必ず聖母と使徒トマスの両者の手に触れた状態で表されるのが,シエナ型の図像との大きな相違点である。フィレンツェ型の図像では聖帯を聖母から使徒トマスヘ渡す行為に重点が置かれ,使徒トマスは被昇天の証明者として大きく扱われている。また,シエナでは「聖母被昇天と聖帯の授与」が祭壇画のメイン・パネルに配され,独立した礼拝像としての扱いが中心であったのに対し,特に聖帯の聖遺物を保有するプラートでは同主題がしばしば連続説話表現の一場面として取り込まれた。そのような作例には1330年頃のマーソ・ディ・バンコによる祭壇画の断片〔図4〕(注6)'メイン・パネルに同主題を奉じていたと推測される1337■38年頃のベルナルド・ダッディによるプラート大聖堂主祭壇のための祭壇画〔図5a—釘,1357~60年のニッコロ・ディ・チェッコと息子のサーノによるプラート大聖堂の大理石説教壇のレリーフ〔図画〔図7〕があり,また,フィレンツェの作例としては1352■1366年のオルサンミケーレのオルカーニャによるタベルナコロがある。連続説話表現においては同場面は聖の1つにすぎない。シエナ型の図像においては聖帯を渡すという行為と使徒トマスが-372-
元のページ ../index.html#381