「anagogy」)としては,特に有名な例として宇治の平等院鳳凰堂が目立つ。ここは,c :研究の内容2.平成八年夏,「紫と薔薇:日本中世庭園の研究比較文化史的観点から一(仮題)」という本をかきながら,英国にいる間,ある大学出版杜と話合った。唐時代庭園との関係資料日本の奈良時代庭園遺跡は,唐時代庭園との関係が密接で,泉池,曲水宴,蓬莱島,また平安時代の「作庭記」に語っている「汗沙様」,「洲浜」等が残っている。特に平城宮に東院庭園が出土されて興味深い:唯一な性格を見せて,日本中世泉池庭園の祖父的な地位を持って,又唐時代詩人の白居易の洛陽,集賢里にあった私庭園(「池上篇J大和三年829 ; 「白居易集」,巻第六十九)の性格は,日本中世庭園の主流との関係が深いようである。唐時代長安京の豊かな庭園の記録もこうした流れの裏づけとなる。又,嵯峨院(大覚寺)の「名古曽滝」は,明らかに唐時代の性格をもっており,正倉院にある盛唐時代の琵琶にのっている山水の「高遠」景色とよく似てる。この実地の石,湖,島もこの伝統の遺跡であるらしい。鎌倉時代では,この滝に小さな夜泊石組を加えて,蓬莱島に係る説話的な特色を構成して,又寓喩的な要素を拡張させたのは,そこにいかにも本研究の言う「中肌化主義」と合致する〔図1〕。平安時代庭園平安時代の貴族環境の表現として,寝殿造系の庭園の記録によく出ている例では,法住寺,東三条殿などでは南の池庭に向かって,釣殿,遣水,中島,橋などがあった。こうした例と似合うような形が,特に京都の勧修寺(905頃)の構図に残っている〔図2〕。又,仏教の西方浮土のアナゴジ(フランスのAbbotSugerスジェル修道院長のいう最近(平成八年)発掘された北小島が付けてあったと見られて,相当立派な干潟様式で流れていた川があったようで,またその全体構図は現代の状態より広かったと見られる。その背景としては,無論,「栄華物語」に理想的に記録されている藤原道長の法成寺か十一世紀の浄土環境の著しいシンボルであった。又,地方には,小形でも,藤原家の寝殿造りの西方浄土的環境としての例が色々あって,奈良付近の浮瑠璃寺,円成寺-383-
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