鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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2.《畠山本》の金銀泥技法と水墨画淡,乾き具合をはかりながら,前半,後半の制作を同時に進めていったのであろう。また,制作に要した時間も,全体を継いだ状態で描くのに比べて,はるかに短かかったものと推察される。宗達の金銀泥下絵巻には本作のはか《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(京都国立博物館蔵),《鹿下絵新古今集和歌巻》(諸家分蔵),《蓮下絵百人一首和歌巻》(諸家分蔵)などの作品が知られているだけでなく,《四季草花下絵千載和歌集和歌巻》(個人蔵)や《桜柳下絵新古今集和歌巻》(個人蔵)のように工房作と考えられる作品が多数有り,これらの「分業」のあり方を再検討する必要があろう。次に紙背に目を移すと,紙背の全体にわたって金銀泥の細線で鳥文様が描かれている〔図2〕。宗達の金銀泥下絵巻では《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》に蝶文様のあることが知られているが,このように紙背に金銀泥白描で鳥や蝶文様を描くことは伝統的にみられることである。例えば,鎌倉時代14世紀の制作と考えられる伝伏見天皇哀筆《源氏物語抜書》(国立歴史民俗博物館蔵)の紙背には金銀で蝶と烏の文様が描かれている。しかし,それらが散し文様的な性格を色濃くしているのに対して,本作の鳥文様は動勢の強い表現になっていることが注目される。これを《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》の舞い飛ぶ鶴や《四季草花下絵千載和歌集和歌巻》の群れ立つ千鳥の表現と比較してみた場合,この紙背文様にも宗達,あるいはそのエ房の関与を考えてしかるべきものと思われる。なお,国華社編『光悦書宗達金銀泥絵』によれば,紙背の紙継ぎ部分には「紙師宗二」の割印が捺されているとのことで,図版も掲載されているか,今回の実見において肉眼では確認できなかった。宗達の金銀泥絵や水墨画においては微妙な濃淡の表現が特質であり,このような技法については一般的に「没骨法」,また宗達に特徴的な技法として「たらし込み」と呼ばれる表現がある。しかし,「たらし込み」をどのように定義するかは,必ずしもコンセンサスを得るものとはなっていない。筆あとを見せない宗達の画面からどのように描いたかを明確に判断するのは難しく,技法というよりも,むしろ結果としてみられる表現効果を指す言葉と考えられる。それはいずれにせよ,あとから濃度の異なる墨や絵具あるいは水を注ぎ,水の表面張力の格差を利用して滲ませ,その滲みをそのまま残すという技法と解することができる。392-

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