鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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宗達の作品中「たらし込み」を用いて最も成功しているのは《牛図双幅》(頂妙寺蔵)であろう。例えば,この双幅のうち《臥牛図》〔図3〕では,淡墨の輪郭線を塗り残して胴を形作ったあと,背中側から数力所に水が差され,さらにそれと反対の方からも水分が入れられて,その間の滲みは双方向に揺れ動きながら,背中の側の連弧状と腹部へ降りる帯状の濃いむらむらとなって定着している。この「たらし込み」によって得られた水墨の濃淡のむらむらが丸みのある立体感をつくり出し,さらにそれぞれに広がろうとする面と面とがせめぎ合い,墨の滲みの方向と相まって力のこもった筋肉の張りを感じさせ,躍動感溢れる牛の様態を描き出している。では,《畠山本》を描く技法はどのようなものであろうか。まず,巻末の蔦の葉の描写から見ていきたい。ここの蔦の葉には大別して「濃い葉」と「淡い葉」があるが,その「濃い」部分と「淡い」部分を合わせ持った葉もある。ここでは,はじめに淡泥で蔦の葉の形を作ったあと,濃泥を葉柄側や葉先に入れて一枚の葉の中に濃淡を創り出している。これは下の淡泥かまだ水分を十分に保っている状態で濃泥を入れたもので,この濃泥は下の水分と交わって筆されており,それは葉柄に濃泥が滲み出ていることからもわかる。実際には濃い葉のほとんどは,このように淡泥で下地を作ったあと数度に分けて濃泥を入れたものと思われ,濃い葉でありながら一部に淡い下地をのぞかせているものが見られるのは,下地が乾いて濃泥が十分にのびなかった為もあろう。このように濃い葉を描く場合でも水分の多い淡泥を先に入れるのは,下描きの意味もあろうが,やはり濃泥を直接描くには筆が重すぎて,水分を利用しないと濃泥をうまく広げることができないということと,また,細部の描写がしにくい濃泥の広がり方を,あらかじめ象っておくという役割を果たしているものと思われる。このような筆の入れ方は銀泥においても同様で,とくに面積の広い薦躙の花のほとんどはそのように描かれている。蔦の細長い葉柄でも,濃いものにはあとから濃泥を入れたとみられる点綴状の筆あとが残っており,逆に,この筆あとを梅の木の樹肌などの質感表現に利用する場合もある。もちろん,金銀泥の濃度が濃,淡の二通りしかないわけではなく濃淡の度合いは様々である。このように,筆を何回も重ねて塗ることによって最適な濃度を作っていく技法は,一般に「ため込み」と呼ばれ(注2)'《畠山本》で多くみられるのは「たらし込み」よりも「ため込み」であるといえる。巻頭の竹の幹は金泥の濃淡が複雑に交錯し判断し難い部分が多いが,ここでも下地になる淡泥がとことどころに顔を出しており基本的にはこれまでと変わらない。しか-393-

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