鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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しかし,このような描法で得られた《畠山本》の竹のむらむらが《牛図》のむらむらと似ているということは何を意味しているのだろうか。これは,水墨でなら得られやすい「たらし込み」と同様の表現を金銀泥で再現しようとしたもの,すなわち,宗達は《畠山本》の前に既に水墨で「たらし込み」を実践していたと解せられるのではないだろうか。もちろんこれは,《牛図》の表現が直接《畠山本》の基になったというのではなく,宗達が水墨において完成度の高い《牛図》に至るまでには,「たらし込み」の様々な実践過程を経ていることが認められねばならないという点においてである。そして,その過程のなかに《畠山本》も位置するものと筆者は考えたい。宗達の画風展開について,金銀泥下絵の技法は木版を用いた刷下絵においてできる「刷りむら」をヒントにしたものであり,さらに水墨の微妙な濃淡の表現は金銀泥の狗筆下絵で培われたものとする考え方がある(注3)。金銀泥下絵と水墨の技法は確かに重なる要素が多いが,《畠山本》の竹のむらむらは,竹幹の立体感や肌合いの持つ雰囲気を見事に表現しているとはいえ,必ずしも「写実的」であるわけではなく,この屈曲する線状の表現は,やはり《臥牛図》にみられるような効果的な「たらし込み」の表現を,意識的に金銀泥で再現しようと試みたものと考えるべきであろう。《畠山本》にみられる意識的な濃淡の表現は刷下絵の偶然性の強いむらむらとは異質な表現であり,また,淡泥の上に濃泥を重ねていき濃淡のグラデーションを作るという「ため込み」の技法にしても,水墨画においては基本的な技法で,表現性においても刷むらとは異なった効果をもたらしている。宗達の金銀泥下絵と水墨画の濃淡の表現の相似と差違を明らかにしたとき,宗達が金銀泥と水墨のどちらを先に始めたかの問題はともかくとして,宗達は少なくとも金銀泥下絵を描いていた慶長期には,水墨面も同時に試みていた可能性を取る方がより自然な帰結ではなかろうか(注4)。以上《昂山本》を中心に,その制作課程,技法等の基礎的な問題について考察を行った。特に金銀泥絵と水墨の関係については,その他,多くの作品と関わるものであるが,今回は《畠山本》から考え得る範囲を広げることを念頭におきつつ論をすすめてきた。また,宗達の慶長期の造形活動は染織や陶磁器などと深く関わりながら展開していったものと考えられるが,問題点の指摘に留まることなく,さらに検討を続けていきたい。-395-

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