鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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後編に収められている光琳画の図様を模したものとなっている。物語絵だけでなく,歌意絵についても『光琳百図』所載の光琳画に倣った作品が多い。江戸琳派の物語絵制作は,自ら物語本文より場面選択を行って図様を案出するというよりも,先行する琳派作品,特に光琳の図を翻案して再現すること自体に意味があったようだ。翻案の方法を見てみると,(1)光琳画の図様をそのまま模して細部の表現方法に個性を盛り込むもの,(2)光琳画の図様を取り入れつつ主要モチーフの周囲に原図とは無関係に草花や景物を取り合わせるもの,の二通りに大分される。「八橋」「宇津山」「高安の女」「河内越」「楔」「布引の滝」「武蔵野」は前者にあたり,「富士山」は後者の方法によるものが多く認められる(注3)。前者から「八橋図」を例にとって光琳作品と比較してみると,京琳派と江戸琳派の造形上の特色を端的に見て取ることができる。光琳作品〔図1〕は,単ーモチーフを型置きの手法を用いて繰り返す反復配置の面白さや,たらし込みによる微妙な陰影表現に力が注がれている。一方,抱ー・孤邦の作品〔図2• 3〕は個々のモチーフ自体に形や色面の変化を様々に盛り込み,余白の多い画面に不規則に配置することで視覚を遊ばせる工夫がなされている。このような,配置のリズムや色彩の変化を明快にし,画面の一部に意外な形のモチーフを置いて観る者の目を驚かせるような画面作りは,江戸琳派全体に共通する造形特質ともいえる。更に,抱ー画と孤祁画を比較してみると,抱ー画が光琳作品の残像を意識的に留める形をとるのに対して,孤邦画には光琳というよりもむしろ抱ー作品を意識した画面づくりがなされているのが感じられる。抱ー画は,観る者が即座に『光琳百図』所収の光琳画を重ね合わせることが出来るように作られており,「いま光琳」としての抱一を期待する鑑賞者に「光琳の継承者」としての立場を明確に伝えるものになっている。一方の孤邦画は,本米は一つの画面に表されるはずの燕子花と八橋を屏風の表裏に描き分け,表を金地,裏は素地に銀泥のみを使った画面に仕立てている。モチーフを表裏に分ける趣向の面白さは,光琳八橋図の図様を知る者が観てはじめて理解されるものであり,表に金,裏に銀を配する手法は抱ー画の手法を知る者にとって意味を持つ。孤邦画の画面には「抱ーの継承者」としての立場が盛り込まれており,そこには孤那の時代の愛好家たちの間に,光琳もさることながら抱ー作品への憧憬も高まっていた様子がうかがわれるのである。江戸琳派の画家たちは,作画に際して先行作品の図様と様式とを引用し,光琳という時代を隔てた大作家の影を借りながら鑑賞者の視覚的語彙に少しずつ新しい要素を加え,自らを「琳派」の作家として認識させることに巧-399-

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