鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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界にちなむものとして見ることのできる格好の題材であり,中でも光琳(抱ー)様式で描かれる「富士図」は,江戸人の自己認識を王朝や上方文化の伝統にもつなぎとめる効果を発揮したのではないかと推測されるのである。... 伊勢物語の中で,都人である業平一行が下っていく「吾妻」は女性性を担うと理解される。しかし,江戸琳派の作品の中で業平の姿か四季の草花や江戸を象徴する景物と取り合わされることで,図は季節を問わず目を向けることの出米る王朝人の「江戸上り」を描くものとなる。鑑賞の主体は江戸人の側に移り,その視線を受ける王朝人や京の都は,当初の役割とは逆に女性性を担うものに変化させられているといえるのではないか。以上見てきたように,江戸琳派の伊勢物語図は,光琳のように染織や漆芸の世界に学んで画面から人物を消し去ってしまうような象徴的な図様作りは行っていない。概して画中に人物を描き込むものが多く,しかもその図様は宗達派のように古絵巻から取り出すのでも,他の分野の作品から学ぶのでもなく,『光琳百図』に載る光琳作品の図様をほぼ直模する形をとる。「光琳百図』は,『緒方流略印譜』とともに光琳の年忌法要に際して,愛好家たちへの配りものとして刊行されたものである。筆者は,抱ー派の画家たちによる出版物が,光琳に関する知識量と,琳派の正当な継承者であるという主張を視覚的にアピールする役割を果たした旨を論じたことがある(注4)。物語絵のような王朝の風流故事と「光琳」という二つの上方上層文化の面影を兼ね備えた絵画世界は,『光琳百図』によって視覚的語彙を共有する江戸文化圏の鑑賞者たちの間にあってこそ有効な画面である。江戸琳派の物語絵や歌意絵は,抱ー派の画家たちによる一連の出版物や光琳画を図取りした諸作品と同様に,琳派の正系画家としての立場を観る者の視覚に訴える機能を担っているといえる。抱ー落款を伴う作品が多いことも,『光琳百図』に載る図様と「江戸の光琳」としての抱ーの落款,という組合わせを持つ作品を期待する鑑賞者の数が(抱ーの在世中・没後を問わず)多かったことをうかがわせる。そこには,新参の画家集団が江戸の上層文化に市場を見出し,上方絵画の系脈を江戸に移植して,江戸人の自己認識に訴えながら主流を作り上げようとする上での巧みな攻略法の一端を見ることができるのである。なお,本稿は中間報告の段階に留まるもので,伊勢物語以外の主題については未だ作業途中の段階にある。また,文学・芸能表現の展開については,これを把握するま-401-

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