鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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⑯ 両次世界大戦間パリにおける画家パウル・クレー受容とそのメカニズム_マックス・エルンストとの関係を中心に一一研究者:別府大学文学部美学美術史学科助教授宮下前提パウル・クレーとシュルレアリスムの関係を巡る議論は,その重要性に比較して,今日に至るまで,充分に為されてきている,とは言いがたい。クレーを巡る批評史を通じて,クレー作品の「シュルレアリスム的」側面は,彼の同時代の評論から今日の研究に至るまで,その「構築的」,「数学的」側面を語るものと並んで,およそ無数とも言うべき膨大な言葉によって語られてきた。しかし,後者が,バウハウスの問題に関連して,またクレーが残した手稿群の出版を前提にして行われた綿密なテクストクリティークを通じて,比較的早く客観的,批判的視点からの研究が進み,一般的な書目でも余り的外れなものには出会わないのに対して,前者は,各著者によってまちまちの,そしてまま正反対の見解が提出され続けている。クレーにシュルレアリテートを認める著書において見られる見解は多くの場合,恣意的な「感想」にとどまるものであり,それとは反対の立場に立つものには,クレーの作品が完全に計算されたものであり,「エクリチュール・オートマチック」を初めとしたシュルレアリスムの創造原理とは全く相容れないものである,など否定的見解が目立つ(注1)。言うまでもなく,この違いは両側面の質的な違いに起因するところが大きいだろう。「構築的」,「数学的」な造形の分析はクレー自身の残した懇切なノート類の研究を補助的手段として,美術史の様式分析的手段でも充分対応可能であろう。しかし,より「物語性」の強い,乃至「文学的」解釈の余地を多分に備えた「シュルレアリスム的」側面への言及は畢党「文学的」なものへの傾斜を強く持つものか,それを濯れる余り否定的見解を持つに至るかのいずれかであろう。しかし同側面の研究が恣意的なものとなりがちで,かつその研究が未だに余り大きな進展を見せないのには,より大きな障壁があるように思われる。それは,クレー作品の批評を代表する幾つかのパラダイムのなかで,クレー作品の「シュルレアリスム的」側面に,はじめて注目し,かつそれを積極的に評価したのが,1920年代以降パリを中心に活躍した,他ならぬシュルレアリストたちであった,という事実である。後誠-408-

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