年10月21日から11月14日まで,パリ,ヴァヴァン=ラスパイユ画廊で開かれたパリでが,後にシュルレアリストと呼ばれる人々にクレーの芸術を初めて紹介したこと,1925最初のクレー展開催の経緯など,クレーとシュルレアリスムを巡る議論の基礎とも言うべき事実関連を明らかにし,同時にクレーとシュルレアリスムの造形思想を「オートマティスム」,「精神病理学」,「観念連合」,「夢の形象」の四つの観点から比較検討することを提唱している。その後,ヴェルナー・シュピースが,クレーとマックス・エルンストの関係を示唆したり,アン・テムキンやクリスティーネ・ホプフェンガルトがホールの研究を受けてより詳細な研究を発表,また最近ではアンドレアス・フォーヴィンケルがクレー作品と,エルンストのフロッタージュ連作『博物誌』との関係を論じてもいる(注6)。研究状況ー2-このように見てくると「クレーとシュルレアリスム」を巡る議論は充分に為されてきたかの観があるが,稿者の調査によれば以上の研究は幾つかの点で不充分なものと言わざるを得ない。クレーがシュルレアリストたちに紹介されていった経緯でツァラの果たした役割や,ブルトンの『シュルレアリスム宣言』(1924年)に見られるクレーへの言及は,なるほど重要なものには違いないが,同時にドイツの画商や評論家たち,就中アルフレート・フレヒトハイム,ヴィルヘルム・ウーデ,パウル・ヴェストハイム,ハンス・ヒルデブラント,フランスの評論家,特に「カイエ・ダール」誌編集長クリスティアン・ゼルヴォス,そして何よりもまず,画家であるマックス・エルンストの寄与もまた極めて重要なものであった。先行研究ではこの事実が多分に軽視されがちであった。またクレーとシュルレアリスムの造形思想の比較も,彼らの残した証言に基づいたものとはいえ,私見によれば,印象批評の域を脱してはいない。ブルトンやエルンストとクレーの創作論の比較も重要なものではあるが,彼らが実際に行った創作,特にエルンスト,マッソン,ミロなどと,クレーの作品との具体的な比較,分析が為されない限り,空論の謗りは免れ得ないだろう。以上の認識から,稿者は先に一論孜を『美學』誌上に発表,先ずはヴァヴァン=ラスパイユ画廊でのクレー展開催の経緯と,「クレー=シュルレアリスト」なる批評パラダイムの成立にとって,パリのシュルレアリストたち以上に,パリの美術運動に深い関心を抱き,かつ表現主義終焉の危機意識をも共有していたフランス贔贋の画商,評-411-
元のページ ../index.html#420