鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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展望この関係がクレーをパリのシュルレアリストたちに広く知らしめる大きな要因の一つとなり,ブルトンによる『シュルレアリスム宣言』の脚注,ェリュアールのクレー・コレクション,ミロやマソンのクレーヘの傾倒,更に多くのシュルレアリストにクレーヘのオマージュを寄せる契機を用意し,ドイツの美術批評界をも巻き込んで,結果的には「パウル・クレー=シュルレアリスト」なる批評パラダイムを作り上げていった経緯は大変興味深い。今後は上述の経緯を更に詳細に検討し,同時に,ヴィルヘルム・ウーデ,「クンストブラット」編集長パウル・ヴェストハイム,批評家カール・アインシュタイン,画商のアルフレート・フレヒトハイムやダニエル=アンリ・カーンワイラーらいわゆる「フランス贔贋」のドイツ人たちや「カイエ・ダール」編集長クリスティアン・ゼルヴォスら「ドイツ通」フランス人たちがクレーの「パリ輸出」に果たした役割を調査することで,パリにおけるパウル・クレー受容のメカニズムを解明したい(注11)。当問題圏では就中ヴィルヘルム・ウーデの,パリにおけるクレー受容初期に果たした役割が重要なものであったろうことも今回の調査でほぼ明らかになった(注12)。更に,以上の調査と並行して,クレー作品と,エルンスト,ミロ,マソンらの作品を比較,分析することでクレーが,何故シュルレアリストたちに広く受け容れられたかを分析して行くことになろう。今回の調査は以上のような稿者の目論見を推進させるために極めて貴重な機会であった。また今回の調査ではウーデやヴェストハイム,ゼルヴォスらのクレー宛書簡も殆ど全て参看することが出米た。これらの書簡の分析は現在稿者によって進められている。資料ーマックス・エルンストからパウル・クレーに宛てられた書簡三通拝啓あなたの作品をケルン芸術協会館長を通して画商のゴルツに引き渡すつもりでしたが,クルーク氏の旅行が延期したため,補償付き郵便でお送りすることにしました。ゴルツ氏とは特に何の取り決めもしておりませんので問題はないでしょう。荷物が届きましたら受取証をお送り下さい。作品をお貸し下さいましたご親切に改めてお礼申1919年夏,今日では余り対比して語られることのない二人のドイツ人画家が出会い,1) -414-

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