鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
426/590

(8) 以下全て拙稿,「『抽象画家』としてのラファエローニ十年代リアリズムに於ける(9) 以下の知見は,既に拙稿,「マックス・エルンストと受容美学」(ローター・フィ(11) 今回,パウル・クレー=シュティフトゥンクでの調査で検討し得たゼルヴォスの(12) クレーとウーデの間には,少なくとも1925年4月14日から10月8日にかけて合わPaul Klee. Leben und Werk, Bern 1987, S. 57-81. ; Christine Hopfengar-t, Klee vom Sonderfall zum Publikumsliebling-Stationen seiner offentli-chen Resonanz in Deutschland 1905-1960, Mainz 1989. ; Andreas Vowinck-el, Histoire Naturelle-eine Unendliche Naturgeschichte. Versuch einer Ann註herungan Max Ernst und Paul Klee, in : Ausst. Kat., Die Erfindung der Natur. Max Ernst, Paul Klee, Wols und das surreale Universum, Sprengel-Museum Hannover 1994, S. 127-132. (7) 拙稿,「戦略としての批評?ー1925年,パリ,ヴァヴァン=ラスパイユ画廊のパウ-26頁;Derdialogische Blick : Die Leerstelle und Betrachter in den Werken Paul Klees, in: Aesthetics, No. 7, 1996, S.107-120;「たくらみとしての絵(10) Spies, S.35 u. S.217. ル・クレー展とその周辺」,『美學』第44巻3号,1993年,25-35頁。批評環境」,『國學院雑誌』第95巻12号,1994年,16-26頁;「画家パウル・クレーの造形思考に於ける具象的形象の意味」,『國學院雑誌』第96巻8,9号,1995年,13画一受容美学的観点からみたクレー作品における具象的形象の機能」,『女子美術大学紀要』第27号,1997年,21-35頁ッシャー著『マックス・エルンスト』,PARCO出版,1995年,235-244頁所収)に,当時の調査段階に基づいて報告している。しかし,ェルンストのクレー宛書簡の詳細な検討は今回の調査を待って初めて行われた。クレー宛書簡は葉書も併せて全部で28通,1928年8月18日から1938年9月15日のほぼ10年間に亘る。うちクレーの返信の下書きが残っているものは4通であった。クレーのゼルヴォス宛書簡はパリの国立近代美術館に保管されているとおぼしく,現在調査中である。せて6回,書簡の往復があったことが今回の調査で明らかになった。それらはヴァヴァン=ラスパイユ画廊で同年10月から11月にかけて開催されたパウル・クレー展に関わるものであった。Vgl., Stefan Frey u. Wolfgang Kersten, Paul -417-

元のページ  ../index.html#426

このブックを見る