(6) 和田定夫「イサム・ノグチのこと」『アトリエ』286号,1950年11月,51頁。なお(7) 例えば岡本太郎「縄文土器論」(『みづゑ』558号,1952年10月),座談会「近代絵(8) 座談会「作者・批評・観衆…」における針生一郎の指摘,『美術批評』39号,1955年3月,47頁。(9) 岡本太郎『日本の伝統』光文社,1956年,72頁。義・位置・方向一」『みづゑ』503号,1947年8月。和田は,この少し前に「前衛美術の民族的形態一美術と伝統一」と題する論を発表(『みづゑ』539号,1950年9月。同540号,同年10月)し,日本の前衛作家も日本の伝統の中に「我が民族がもっている形態」を探し現代の創造に活かすよう提唱した。これもノグチの活動に示唆された論であろう。また先のように前衛の国際性・普遍性を強調し,伝統さえ否定せよと提唱した植村鷹千代も,この時には次のように述べている。すなわち前衛絵画は「内容においては世界的に共通の思想をもち,形式においてはさまざまな地理的,民族的なヴァラエティをもつものに発展する性質をもっている」(植村「飛躍を阻む画壇の良識」『アトリエ』286号,1950年11月,25頁)。植村はノグチに直接言及してはいないが,彼の論調の変化にも同じ事情が推測される。画の問題」における土方定ーの発言(『美術批評』3号,1952年3月),植村應千代の植木茂個展評(『みづゑ』598号,1955年5月),針生一郎「伝統と前衛ー前衛こそは伝統の担い手である一」(『みづゑ』624号,1957年7月)など。(10) 針生一郎「日本的感性のゆくえ」『みづゑ』587号,1954年7月,10頁。(II) 岡本太郎『新版今日の芸術』光文社カッパブックス,1963年,121頁。1954年出版の初版の『今日の芸術』は今回参照できなかったが,岡本自身が新版の序で「全体は初版のまま。記録の意味をふくめて,原型をとどめました」と断わっているので資料として時代性の問題はない。(12) 同書39頁。(13) 同書236頁。(14) 岡本太郎『日本再発見一芸術風土記ー」新潮杜,1958年,169頁。(15) 瀧口修造「伝統の問題」『みづゑ』608号,1956年3月,34頁。(16) 岡本『日本の伝統』77頁。(17) 岡本『日本再発見一芸術風土記ー』199頁。-34-
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