鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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その表現は当時の人々の目には時に率直に過ぎ,厳しい批判も受ける。例えば,荒地の耕作に疲れ切った農夫を描いた《鍬を持つ男》(1860-62年,〔図11〕)については,「彼(ミレー)にとって芸術は卑しいモデルを奴隷のように模写するだけである」といった非難が集中した。それに対してミレーは,「額に汗して生活の資をかせぐことに身を捧げる人を見て,心に浮かんでくる着想を率直にただ認めることが,彼らにはどうして出来ないのだろうか?彼らは私が田園の魅力を否定している,という。実際私はそこに魅力などをはるかに上回る,尽きることのない偉大さを見出だしている」と反論している(注3)。農家出身のミレーにとって,田園は生まれながらにして自分の世界であった。彼が,人が労働によって糧を得,疲れ,憩い,年を菫ねていく人生の舞台に,「魅力を上回る偉大さ」を見ることは自然なこととして理解できる。この質実たる「偉大さ」が彼の田園の主題の核にある。印象派の代表的画家,クロード・モネ(1840-1926年)は,生れ故郷パリと少年時代を過ごしたル・アーヴルを結ぶセーヌ下流域を主要な制作地として活動し,明るい陽光の下,穏和な自然の中に人々のいる情景を繰り返し描いた。木陰での読書,ヨッ卜遊び,野原の散歩…。そんな田園生活のひとこま,ひとこまが,モネ特有の優しく親しみ深い作風で捉えられている。登場人物たちはミレーの場合とは大きく異なり,日傘をさした女性やリボンのついた帽子をかぶった子供たちである〔図12〕。モネの田園の主題による作品には,都市に住むコレクターの興味を引くような「中産階級のユートピア」を描きだそうという意図もあったと指摘されている(注4)。ノルマンディー海岸の景勝地を描いた作品群ともあわせ,多かれ少なかれこのようなモネの制作の背景に指摘されるような狙いかあったことは否定できない。しかしまた,後半生の拠点としてジヴェルニーを選んだように,モネは本来的に自然や田園生活に強く親近感を持っていた。モネはパリに生まれ港町ル・アーヴルで育った商人の子であり,「都市の中産階級」とは彼自身が生い育った環境でもあった。彼の田園作品は,近代都市生活者の田園への憧れを率直に結実させ,田園の「偉大さ」ならぬ「魅力」を明快に描き出したものと言える。オランダの牧師の家庭に生まれたヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853-90年)は,挫折多い青春時代を過ごし,一時パリに在って印象派の画家たちと交流した後,南仏アルルにおいて独自の芸術を開花させた。その後彼の軌跡はサン・レミを経て,パリ北郊オーヴェールで尽きる。-425-

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