鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
435/590

ゴッホと「田園」の関係にはとりわけ深いものが感じられる。「農民の生活を描くというのは真剣なことだ。芸術と人生について真剣に考える人々の胸中に真剣な思いを掻き立てるような絵を描こうと努めないとしたら,僕は自分を責めなければならない」。オランダ時代の作品《馬鈴薯を食べる人々》について,彼は弟テオに宛てた手紙の中にこのように記している。その前段には,「(農民たちは)実にまっとうな方法で稼いで得たのだということを本当に強く人に訴えるのが僕の目的」,美化するのではなく「彼らのありのままの粗野な姿を描いたほうが良い」とも述べている(注5)。ゴッホはミレーを腺敬していたが,上記の言葉からは両者の近さがよく分かる。また,ゴッホにおいても「田園」は,人間の営みの基本として位置付けられているが,労苦も含め,そのような厳しさがあるからこその「まっとうな」生の場としての認識であったと言える。《アルルの跳ね橋》,《ひまわり》,《種まく人》〔図13〕,《星月夜》,《自画像》,《オーヴェールの教会》,そして,最後の日々に描かれた横長の二枚の麦畑の絵〔図14〕。これらの作品を見る時,ゴッホの芸術には他の画家の追随を許さない特異な力強さと切実さがあることに気付く。鮮明な色彩とタッチの効果も大きいが,彼の制作は,ひまわりを描いても,教会を,麦畑を描いても,結果,画家の内面の表出になっているのである。ゴッホの作品から我々はゴッホ自身の生命と魂の波動を受け取る。ゴッホの絵を見るとは,ゴッホの内に入ることである。ゴッホは具体的なモティーフなしには描けない画家だったと言われるが,静物にしろ風景にしろ,それらを単に対象化し,外から見,捉えたのではなく,自己の内に取り込み自已の世界として形象化し呈示した。本来,芸術創造とはそのようなものであろうが,ゴッホの場合,まさに捨身の取り組み方が迫力を生んでいる。ゴッホがこのような,芸術への身の預け方と表現力を体得したのは,パリではなく「田園」,荒削りの自然の息吹漂う南仏であった。明るい陽光の下,田野の生のぢわめきに満ちた大気の中で,ゴッホは自らの芸術を見出し掴み取った。そして再び北の光の中,なだらかに麦畑が連なるオーヴェールで,青の響きのとりわけ澄んだ何点かの傑作を生み出した後,世を去る。ゴッホがゴッホとなるために,「田園」は欠くべからざる場所であった。その作品の独創的かつ普遍的な力強さは,芸術の母胎としての「田園」の力を明確に示している。-426-

元のページ  ../index.html#435

このブックを見る