注5.おわりに年6月号2-5頁(筆者執筆の「訪問記」)より。21頁(ポール•H・タッカー「モネの芸術における場所,主題,意味について」)。ここで和高芸術の特質を思い起してみると,その希少性が確認できる。和高の作品は,田園をテーマとして,自然に包まれるようにして在る人間の生の充実を穏やかな質実たる作風で表現している。内容は極めて日本的なものと言えるが,「人物」によって田園あるいは自然の存在をこのように強く表出する例は他にはほとんど見られない(《夕顔棚納涼図屏風》が比較的近い例であろうか)。そして,田園を非常に浄化された世界として描いていることにも和高の独自性がある。ミレー作品の生々しさや,河野通勢の《長野風景》に感じられるようないささか野卑な田舎のイメージは和高の世界にはないのである。伝統的な日本の絵画では,農民の姿は田野の中に小さく具体的に,卑近な存在として描かれている。彼らの生活空間である田園は日常を体現するものであり,田園そのものを崇高なものとする傾向はほとんど見られない。この点,和高の感覚はヨーロッパの伝統的田園観に似通っているとも言えそうである。しかし興味深い点は,一面で観念的な和高の世界に,どっしりとした安定感と力強さがあることである。これは和高の芸術世界が,決して観念の先導によるのではなく,自らの田園生活の中から掴み取られた田園観に裏打ちされているからであろう。自然豊かな田園という環境に,人間を癒し,浄化する作用があることは確かであろう。これは現代人の多くが実感するところと思える。和高はそのような田園の力を抽出し,独自の思想と手法で,明快に提示してくれた。日常の中にこそ,聖なるものは健やかに息づいている,そのことを,和高節二の世界は静かに教えてくれている気がする。(1) ここまでの和高の言葉は,財団法人県民センター発行月刊『けんみん文化』1987(2) 以上二つの言葉は,和高伸二『野に生きる・されどその名は画家一日本画家和高節二の生涯ー』晃洋書房,1992年,161頁,169頁。(3) 井出洋一郎,アレクサンドラ•R・マーフィー監修・執筆『ミレー展ー「四季」アース色のやさしさ図録』日本テレビ放送網株式会社,1991年,185-186頁。(4) 石橋財団ブリヂストン美術館,名古屋市美術館編『モネ展』中日新聞社,1994年,-427-
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