士寺本と称する)について述べることにしたい。ところで,従来の大師伝絵研究は巻子本が中心であり,掛幅本は僅かに数点が紹介されているにすぎない。浄土寺本についても,昭和三十年には広島県の重要文化財に指定され,また展覧会にも何度か出品されているにも拘わらず,美術史の立場からの本格的な考察は未だ行われていないのが現状である。しかし,浄土寺本は描写力,構成力ともに極めて秀逸な優品であり,おそらく15世紀初頭頃の制作と思われるが,この時期の大画面高僧伝絵の一例としても甚だ貴重な価値を有する作品であると言えよう。また,後述するように,図様の大部分は先行する大師伝絵巻諸本からの転用であり,これを加えることによって,従来,大師伝絵については全く顧慮されていなかった巻子本と掛幅本の関係という問題にも新たな光を当てることが可能になってくる。紙数の制約があるので,ここでは場面比定と問題点の指摘を行うに留めるが,その詳細については改めて別稿で論じることにしたい。浄土寺本の八幅の画面には,私見では四十三の事蹟が描かれている。以下では,その場面比定を行う。なお,この問題に先鞭を付けたのは,絵解き研究の立場から掛幅本の大師伝絵に深い関心を寄せた渡辺昭五氏である(注5)。同氏によれば,八幅の画面内容は合計五十の「弘法伝の説話」に対応させることができるというが,その解釈にはいくつかの問題点があり,詳細は省略するが,五十のうち十五には誤りがある。また,同氏はこれと他本との事蹟の出入を検討し,その結果に基づいて浄土寺本の特質を論じるか,そこでも事蹟内容や画面内容を充分に理解していないためと思われる誤解が少なからず見受けられる。このような状況は浄土寺本の特質を見誤らせるだけでなく,後続の研究者を惑わせる危険性も牢んでいる。例えば,最近では平成八年秋に川崎市市民ミュージアムの「弘法大師信仰展」に出品されたが,その図録の解説は同氏の説を引用したものであり,誤りもそのまま踏襲している(注6)。さて,大師伝絵巻を見慣れた日で浄土寺本を見ると,その大部分は,実は先行する絵巻諸本から転用した図様で構成されていることが分かる(注7)。これと近似する図様を有する作品としては,次のものが挙げられる(注8)。・六巻本系統一地蔵院本,個人蔵本・十巻本系統一白鶴美術館本,三大寺家旧蔵本・ボストン美術館本(一括してA本(2) 浄土寺本の場面比定-433-
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