鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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く第七幅・第八幅〉1「仙院臨幸」寛治二年二月,白河院が高野へ御幸する事蹟を,数場面に描く。東寺本の二段分を一部省略した図様である。(3) 浄土寺本の特質浄土寺本八幅の内容は以上の通りである。まず,大師伝絵巻諸本との関係をまとめると,東寺本の図様に近似するものが最も多く,部分的なものも含めると四十三事蹟中の三十が挙げられる。以下A本十二事蹟,個人蔵本五事蹟と続き,地蔵院本と白鶴美術館本は意外なことに二事蹟のみである(浄士寺本の一事蹟に複数の絵巻が対応する場合がある)。特に注目されるのは個人蔵本であり,現存する五段の絵全てに極めて親密な相似関係か認められた。この問題はさらに詳しく検討される必要があるか,ともかくも以上の状況からは,浄土寺本は東寺本に多くの部分を依拠しながらも,随時他本の図様も取り込むという比較的自由な制作環境で描かれたものと推定される。また,他本との事蹟の出入も重要な検討課題であるか,ここでは一点だけ指摘しておくことにしたい。東寺本と比較すると,浄土寺本の四十三事蹟のうち東寺本にないものは第四幅6「参詣御廟」だけである(注11)。ここで,浄土寺は聖徳太子の創建と伝えられる古刹であり,古来太子信仰の篤い寺であったことを思い合わせると,「参詣御廟」の例外的な取り扱いには,何らかの特別の意味が込められていたのではないかと想像したくなる。浄土寺本の伝来は不明なことが多く,寺伝によって宝暦七年(1757)には存在していたことが確認できるのみであるが,制作,施入といった問題の考察においても,事蹟の選択は重要な意味を持つことが予想される。次に,八幅に配された事蹟の構成を見てみよう。第一幅には誕生から入唐前までの事蹟を配する。第二幅と第三幅には入唐中の事蹟を配し,第二幅にはそのうち世俗的な内容を,第三幅には密教に関する内容を振り分ける。第四幅と第五幅には帰朝後の事蹟のうち高野山以外の場所での事蹟を配する。しかし,大師伝絵巻諸本に比べると数が極端に少なく,ここに描かれているのは朝廷関係のものや真言宗の確立に関するものが中心であり,地方を舞台とする説話的な要素の強いものは一切取り上げられていない。第六幅以降には高野山を舞台とする事蹟を配する。以上のことから,浄土寺本は大師伝絵巻諸本の事蹟の展開順序とは別に,全く独自の意図によって八幅を構成していることが分かる。編年的には逆順になる箇所もあるが,第四幅以降に見られる-438-

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