鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
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注(3) 梅津次郎監修『角川絵巻物総覧』角川書店,平成7年。23件のうち1件を宮次男(2) 拙稿「弘法大師伝絵巻考ー諸本の分類と概要ー」,奈良大学文学部文化財学科刊『文展開場所による割り振りは,掛幅という画面形式を巧く活用した構成として評価される。最後に,画面構成について二点だけ述べておきたい。まず,各幅における事蹟の展開順序は,基本的には下から上へであると見なされる。ただし,その場合,第五幅の1「講堂起立」(天長二年)と2「神泉祈雨」(天長元年)は編年的に逆順になる。このほかにも第四幅と第五幅には絵巻諸本の展開順序と異なる部分があり,順序の確定が難しいところがある。次に,第七幅と第八幅に注目したい。渡辺氏は第七幅を「博陸参詣」,第八幅を「仙院臨幸」に比定しているが(注12),実はこの二幅は左右に連なる一大画面をなしており,その全面に白河院の高野臨幸が展開する。画面は霞で上下四段に区分され,下から一段ごとに右から左へと進行する。図様は東寺本からの転用であり,下から一段目の全体と二段目の第七幅分までが東寺本第十二巻第一段,残る部分は同第二段に韮づく。例えば,下から一段目の集団は東寺本第十二巻第一段の第十紙から第二十紙にかけて展開する行列を適宜省略しながら圧縮したものである。つまり,ここでは二幅を合わせるという異常な大画面を作りながら,実際には横長の絵巻画面を切断し,下から上へと積み重ねているにすぎないのである。この点に,大師伝絵巻に依拠した浄土寺本の,大画面構成における限界があるように思われる。さて,浄土寺本は,以上の如く大師伝絵巻諸本からの翻案ではあるが,単なるコピーあるいは抄出ではない。事蹟の選択においても,また図様の選択においても,独自の基準を持つ新編大師伝絵とも言うべきものであり,中世の遺例として重要な意義を有する作品である。ここでは,簡略にしか述べることができなかったが,今後さらに詳しく検討していきたいと思う。(1) 梅津次郎,1「池田家蔵弘法大師伝絵と高祖大師秘密縁起」,2「地蔵院本高野大師行状図画一六巻本と元応本との関係ー」,3「東寺本弘法大師絵伝の成立」『美術研究』第78• 83 • 84号,昭和13年。『絵巻物叢考』所収,中央公論美術出版社,昭和43年。化財学報』第15号,平成9年。-439-

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