⑲ 背振山美術の研究研究者:福岡県教育庁文化課主任技師楠井隆志背振山は,福岡市と佐賀県神埼郡背振村の境にそびえる標高1055.2mの山である。福岡市側からみるその山容は安定感のある円錐形をなし,周辺諸山のなかでもとくに美しい。また背振山は背振山地の主峰でもある。背振山地は,福岡県西部と佐賀県北東部をほぼ東西約50kmにわたって長大な尾根を延ばし,福岡県と佐賀県の県境を形成する。西方に金山,雷山,羽金山など900m級の高山を連ね,浮嶽を経て唐津湾にその稜線を落としている。東南には蛤岳,九千部山などを連ねている。この背振山の歴史を語る史料そのものは,『日本三代実録』貞観12年(870)5月29日条にみえる背布利神への叙位の記事を初見とするが,それ以降の確実な史料は極めて少なく,伝承に満ちた部分が大きい。近世の地誌類は背振山が古代から中世にかけて山岳信仰の一拠点であったことを異口同音に伝えるが,戦国期の混乱と破壊のためか,現在,山上に往時の繁栄の姿はみられない。九州の古代及び中世文化の形成と継承について考えるとき,山はつねに重要な役割を果たしてきた。たとえば,筑前大宰府の宝満山や豊前の彦山及び求菩提山,そして豊後国東半島の六郷山などの歴史と造形の豊かさは,それを確かに今に伝えている。背振山もまた,古代高僧の入山伝承の豊富さ,背振山出土の銅製経筒に刻まれている「東西満山」の文言からうかがうに,前述の山々と同様,九州における重要な文化的役割の一端を果たしていたと想像されるが,それが無形であるがためにこれまで研究の対象とされることは少なかった。このたびの研究は,古代及び中世における背振山及び背振山地周辺の仏教文化とその造形について明らかにしようとするものである。研究の対象地域が広範に及ぶため,今回はとくに,古代における高僧の背振入山伝承及び周辺地域経塚出土遺物の銘文の検討をとおして,古代背振山の宗教活動を明らかにすることに主眼を置いた。以下,その概要を報告したい。1 はじめに-446-
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