対幅作品についても同様で,もとの対幅形式をそのまま伝えている遺品が,中国本土に比べ格段によく保存されている事実がある。例に挙げた呂文英の売貨郎図にしても表具は異なるものの切り詰めもほとんどなく,当初の状態の画面で四幅揃って今日まで残っている。子供の誕生と成長を祝う画題の性質から考えて,対幅形式で制作された売貨郎図は少なくなかったと推測されるが,現在中国に残る売貨郎図に対幅の作例は見出せず,本図も日本に請来されなければ四幅揃った姿を今に伝えることもなかったであろう。中国では絵画鑑賞の中心にいた士大夫層が,対幅画を職業画家によって描かれる因襲的な絵画であるとみなして,日本のように珍重しなかったことが,中国に現存する対幅画が少ないことの原因となっている。一方,日本では中国絵画の鑑賞方法が中国とは異なり,対幅を第一とする伝統が室町以後続いて来た。このため,対幅の需要は大きく,請来された対幅作品をセットのまま保存しようとし,また四季四幅対を崩す場合は四幅の中でより結びつきの強い春夏幅と秋冬幅に二分して鑑賞形態に合うように分蔵してきた。こうした対幅に対する偏愛ともいえる執着は,中幅の道釈画に左右幅として本来関係のない花烏図や山水図を組み合わせた,いわゆる異種配合の三幅対を多数生み出し,また適当な冊頁画を掛幅に改装して対幅を作ったり,複数画面から構成される画巻を載断して掛幅画に変えるといった,いわば日本出来の対幅を発生させたのである。例示すると,梁楷の中幅「出山釈迦図」(重要文化財,東京国立博物館蔵)・左右幅「雪景山水図」(国宝,東京国立博物館蔵および重要文化財,個人蔵)の三幅対が異種配合の代表的遺品であり,李迪の「紅白芙蓉図」双幅(国宝,東京国立博物館蔵)が冊頁画から作られた対幅の好例として知られ,牧裕の「灌湘八景図」断簡(国宝,根津美術館蔵ほか)は本来画巻であった。この日本における対幅偏重の問題は別途論ずべき大きな課題であり,本研究では深く論究することは控えたい。モチーフの定型化と対幅対幅画の成立と発展過程を明らかにすることは,北宋時代以前の絵画遺品が極端に少ないこともあり,現時点では困難な課題である。羅列的に画像を連ねた功臣像や祖師像などの複数画面からなる図は唐代以前から描かれ,唐の李真らの筆による「真言五祖像」五幅(国宝,東寺蔵)という連幅作品も現存する。また,本尊・脇侍の三幅対や各幅に一人づつ羅漢を描いた十六羅漢図などの仏画も古くより制作されていた。-457-
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