しかし,本論で問題としているような,各幅が対等の位置にありながら,相互に密接に関連する鑑賞絵画としての対幅は,北宋・南宋の両代に著しく発展したものと推定できる。その根拠となる年代の明らかな作例や具体的に示す文献資料は残念ながら存在しないが,絵画史全般の流れからそう判断される。それは南宋画院絵画の特徴として挙げられる二点,つまりモチーフの定型化と対角線構図が対幅画の構成と深く結びつき,不可分の関係にあるからである。後者の対角線構図については周知のことであり,改めて述べるまでもないであろう。一方,前者のモチーフの定型化については筆者はかつて論究したことがあるが(「南宋院体画の同図様作品について」大和文華第86号,1991年),ここで簡単に触れておこう。花鳥画は画面の構成単位としてのモチーフを予め準備しておき,場合に応じて組み合わせれば画を完成させることができるので,モチーフの定型化が山水画よりも容易である。そこで花鳥画に注目してモチーフの定型化をみてみることとする。例として,大和文華館の李迪筆「雪中帰牧図」双幅とその類品が挙げられる。右幅騎牛図の牛は台北・国立故宮博物院の「風雨帰牧図」に見られ,左幅牽牛図の牛はフリア美術館の無款「帰牧図」冊頁に反転した形で利用されている。台北本には「甲午歳李迪筆」の落款があるけれども,実制作年代は元時代以後であろう。画としてのまとまりはあり,大和文華館本等から合成された後世の贋物とは思えない。その原本は李迪の真筆であったかも知れないが,李迪の弟子の作の可能性もある。牛の背に乗る人物を全く変えて,それぞれの図に牛と人物をうまく納めている。動植物を描く花鳥画は,装飾的な用途や博物学的な興味などの実用性もあり,より複雑で哲学的な内容を持つ山水画に比べ,早く発展し,花木禽獣の代表的な姿態は,北宋後期には,充分な観察に基づいて描き尽くされていたと推定される。例えば,宣和(1119■1125年)画院で待詔となった馬貰について『画継』は「作百雁,百猿,百馬,百牛,百羊,百鹿図,雖極繁襄而位置不乱。」と述べている。また『宣和画譜』の易元吉の伝にも百猿図や百禽図は見られる。こうした同種の動物を百も描き連ねた図で,確実に北宋時代まで制作時期が遡る遺品はないけれども,「百馬図巻」(北京・故宮博物院蔵)は古い図様に基づく作品と考えられる。そこでは様々なポーズの馬が描き連ねられており,一種の見本帳として利用できよう。また,五代蜀の宮廷画家黄荼の作とされる「写生珍禽図巻」(北京・故宮博物院蔵)は,色々な鳥や虫などの写生を羅列した,中国画では残っていることが珍しい画稿と考えられている画巻である。-458-
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