き,竹が主要な樹木として中央に配される。構図はいずれも対角線構図を基本とし,三幅の中でもより密接な関係にある秋景図と冬景図は,対幅の原則通り,二幅が接する側にはあまり景物を充填せず,外側に岩や樹木を配置することによって安定感を生みだしている。四季という一年間の時間の推移だけでなく,秋は昼下がり,冬は夕暮れの景を描くなど,一日の中での時刻の変化も付けられている。このように,この三幅は対幅として非常に構図と描法が整い,調和の取れた,まった<隙なく完成された作品で,おそらく南宋画院の相当な名手によって描かれたと推定される。試みに失われた春景図を,現存三幅から想像してみると,春の象徴である梅花か桃の花と高士一人が,秋景図と同様の開放的な景色を臨む構図で描かれていたであろう。三幅には花が見られないから,あるいは芽ぶいたばかりの柳が配されていたかもしれない。いずれにせよ本来は四季四幅が,詩の起承転結の四句のように変化に富んだ展開と完緒性を示していたに違いない。一方,鉄の杖を携えた鉄拐仙人と巨大な蝦嶼を肩に載せた蝦媛仙人の二幅を対とした蝦峡鉄拐図は,どちらも山中の岩に坐して術を行なう仙人を描く。鉄拐仙人は自分の魂愧を口から吐き,同じように蝦媛仙人の蝦蝶蛙の口から霊気が立ち上っているのが確認できる。ただその上方は大きく当初の画絹が失われ,その補絹部分に元は何が描かれていたかは不明である。仙人の姿は右幅が左後から,左幅が反対方向の右前から写され,左右幅の人物は向い合せの位置になるように構成されている。季節の割り振りはこの双幅では認められず,蝦嶼仙人が左手に持つ桃の枝も花と実を同時に付けた仙桃で,自然を超越した仙術の力を明示する。鉄拐仙人は八仙の一人で,彼を主人公とする元曲が現存するなど人気の高い仙人だか,蝦躾仙人については詳しいことがわからず,この二仙人を一対に描く根拠は現在のところ明らかではない。おそらく,元明の対幅画にしばしば見られるように,何らかの民間説話や逸話が元になっているのであろう。そして,造形上の問題から判断すれば,両幅の最大の共通項はその霊気の描写にあり,対幅表現のおもしろさからこの二仙人の図は対幅として制作されたのではないかと考える。対幅の画題と表現この二例に見られるように,各幅の間の連続性・共通性とともに,対比の面白さや全体の完結性が対幅画の見どころといえる。対比されるものは,季節,一日のなかで--460-
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