第一には,画題として複数の場面を描く必然性がある場合が挙げられる。都市や景勝地の様々な姿を四季と組合わせた図,あるいは物語に即して複数場面を絵画化する場合など種々の事例が容易に考えつく。しかし,それは個人的に鑑賞するのであれば,画巻や画冊の方が表現形式として適しており,実作品を見ても画巻や画冊形式の図が圧倒的に多い。画巻や画冊は場面の数についての制約は少なく,さらに一場面の大きさについても画巻であれば一定にする必要がないなど,掛幅に比べ表現の自由度が高い。例えば仇英筆「四季仕女図巻」(大和文華館蔵)は,春夏秋冬の四景を描き分け,巧みな構成で連続的な図として表現している。そして巻初の導入部に子供が橘を渡る姿を配し,画の終端には太湖石を置くなど四場面全体の纏め方にも画巻形式を生かした工夫が見られる。この図の原本は仇英の作で,同じ作者の「桃李園金谷園図」双幅(重要文化財,知恩院蔵)でも絵の導入として橋を渡る子供を画面下端に描くが,縦長画面の掛幅のため画巻はど有効に機能していない。結局のところ,この第一の理由は対幅を制作する前提にはなっても,主たる制作の動機とはなりえない。掛幅と画巻および画冊の相違点にこそ,対幅制作の理由は求められなければならない。それは掛幅画は部屋を飾るが,画巻や画冊はそうした装飾的機能を有しないという絵画形式として本質的な違いである。部屋の壁に画幅を掛ければその場の雰囲気やその部屋の用途を規定する。そして同種の画面を連ねる連幅であれば,よりその効果は発揮される。つまり掛幅画に必然的に伴う装飾性および儀礼性にこそ,対幅形式が選択される大きな理由がある。それを端的に物語るのが,日本にのみ現存する対幅形式の草虫画・蓮池水禽図.藻魚図の三種である。これらは江南地方で長い間,はとんど変化なく描き継がれてきた民間の画工の作品であるが,これほどまでに定型化した図が大量に長期にわたって制作されたのは,これらの図が結婚や長弄の祝賀といった儀礼の席で用いられる装飾絵画として常に需要があったためであろう。現存する対幅絵画作品を概観すると,掛幅として比較的画面が大きいことに気付くが,それは対幅画の特性である装飾性を考慮すれば当然といえよう。-462-
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