⑫ 宋代の貢磁における考察(その一)〜文献資料としての越州窯〜研究者:神戸大学文化学研究科くはじめに〉宋代の陶磁器は,特有の形式美が完成の域に到達し,釉薬の精製,焼造技術の向上など,世界的にその優秀さが認められるようになる。宋代は中国陶磁史上の黄金時代とされ,陶磁器産業が発達したが,それは各地に興った多数の陶窯がいずれも高度の技術を駆使して,精良な作品を多量に製作したからであり,陶磁工芸が最高潮に達した時代である。繁盛な発展に伴い,宋代の各窯場間の競争は,一つの窯系の中で行われるだけではなく,窯系の外でも行われた。その競争の結果が名磁名窯の出現であった。越州窯は中国の越という地方の青磁窯の総称である。窯址は現在の浙江省慈渓市の上林湖周辺一帯を中心に,余眺,上虞,寧波,紹興,罰県などの地域に発見されており,大規模な窯系を形成していたことが判明している。越州窯は後漢時代にすでに成熟した青磁の焼造を完成し,宋代までの千余年間,間断なく陶磁器の製作を続けていた。唐末以来,特に“秘色青磁”の盛名が知られており,それは優れた青磁としてとりあげられた。従来,中国陶磁器を論じる際には,常に官窯と民窯との区別がなされていた。官窯はもっぱら宮廷のために生産されたものである。その製品は商品ではなく,陶磁器産業の市場の競争とは無関係であったように思われる。しかし,官窯のエ匠は殆ど民窯から来ていたのであった。民窯の製作技術の向上や,朝廷からの重視などは,その窯の製品の品質および製作年代の長短にも深く関わっている。官窯は,いくつかの発達した民窯のもとに発展してきたものであると思われる。本論は,主に宋時代に近い文献資料を中心として,越州から朝廷に奉献した“貢磁”の形成,およびその様相についての考察である。く越州貢磁の形成〉越州窯青磁は,陸羽(733■804)の『茶経』(注1)をはじめ,陸亀蒙の「秘色越器」(注2)や徐羮の「貢餘秘色茶蓋」(注3)など中晩唐時代の文人に詩文で取り上げら陳階晋-473-
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