鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
487/590

室の保護を受けて,製陶に磨きがかかった。五代から北宋にかけては,毛彫り,片切彫り,透かし彫りなど各種の劃花技法を駆使して,花丼,唐草,花鳥,龍,人物など多種多様な文様を自在に施され,それまでの陶磁には殆ど行われなかった新しい劃花の装飾法が確立された。釉色はかげりを見せて深く静謡に沈み,これまでになかった均質の釉調となった。そして磁胎は濃い灰色を帯びていた。これは越州地方の特質である。ここではさらに精製され,かた<焼きしまっている。このような五代越窯青磁の質は,そのまま北宋時代の初期まで続いた。前述の文献によって,宋の朝廷に奉献された貢磁の中に,「金稜秘色禿器二百事」(935年),「金稜秘色売器五十事」(973年),「歪器萬一千事,…内千事銀稜」(976年),「銀塗金拍荒器二百事」(977年),「荒器五萬事・金釦荒器百五十事」(978年),「金銀陶器五百事」(982年,983年),「秘色荒器五十事」(1068年)などの記載があり,金稜・銀稜・金釦などは,いずれも金覆輪・銀覆輪を施したものか,または金銀の装飾をつける磁器のことを指すのであろう。このようなことは越州窯青磁だけではなく,宋代の定窯・景徳鎮青白磁にも施されている。これらの覆輪は使用者の身分の高貴さをあらわすか,あるいは豪華さを示すために器物に金覆輪や銀覆輪を被せたと考えられる。このような覆輪は,五代から宋初にかけての支配階級が用いた磁器の実例が見られる。銭元瑶墓から出土した龍文の壺には金を塗った跡があり,銭氏が実際に金銀装飾の陶磁器を用いていたことが明らかであり,文献にある記載が信ずべきものであることが理解されよう(注17)。また,金の覆輪をつける北宋時代の越州窯青磁は,いまだに発見されていないが,ロンドン大学デヴィッド財団にある銀覆輪の青磁龍濤文鉢(注18)は,いわゆる銀稜の磁器の類のものかもしれない。そのほか,宋代の貢磁として推測できるようなものは,1986年河南省翠県に宋太宗元徳李后の墓より出土した三点の越州窯青磁である(注19)。これらの磁器は当時宮廷用のものでありながら,使用者が亡くなってから副葬品としても使われたと考えられる。また,浙江省慈渓県上林湖畔採集の青磁片のなかに,「太平戊寅」の銘のあるものがある(注20)。「太平戊寅」は北宋太平興国三年(978年)であり,この年に呉越王銭{叔がその領域内の越州窯の青磁五万点を,臣下の礼として,宋の太宗皇帝に朝貢しているので,この青磁片は朝貢用に焼成したものであろうと思われる。また,上述の文献にある貢磁の内,“秘色磁器”の数量はかなり少ない。多ければ“ニ百事”で,少なければ僅か“五十事”のみであり,一般の越州窯磁器の“萬事”,“五-478-

元のページ  ../index.html#487

このブックを見る