鹿島美術研究 年報第14号別冊(1997)
489/590

くおわりに〉宋代の窯の大部分は民営の製陶手工業であるが,その中に質の良いものを生産した窯が小数ながらあった。唐,五代以来の伝統を続けて,“お貢ぎ”として宮廷へ献上した越州窯・定窯のはかに,汝窯,耀州窯・鉤窯・景徳鎮窯・龍泉窯・建窯などの窯場も宮廷の気に入るところとなり,民用の陶磁器と同時に,ある程度の宮廷用陶磁器をも焼造したのである。またその他に,製品のすべてが宮廷の専用品として貢納され,商品である陶磁器としての性格を失ってしまった河南省開封の北宋官窯と浙江省杭州の南宋官窯がある。いままで言われてきた“官窯”の意味の中には,生産地の窯を指す場合と,その製品を指す場合とがある。そして,この宮廷用の陶磁器の来源はさらに二つに分けられ,一つは御窯磁で,もう一つは貢磁となる。御窯器は,中央から監督官が派遣されて宮廷使用の御器を焼造する御器窯の作品であり,他方,貢磁は地方から作った上等な陶磁器を貢品として朝廷に献上したものである。その窯場として考えてみれば,官窯と貢窯に分けられる。官窯と貢窯とは,基本的に性質がまったく違うものである。前者は朝廷自らが設けた陶磁器を製作する機構,すなわち官営の窯場で,その製品が専ら朝廷の使用に供し,質の高さが厳しく要求された。そして,不良品がある場合にはそれは壊され,民間に流出することも禁じられている。後者の貢窯は,民窯を主として製品を作り,その一部が貢品として朝廷に献上された。民窯の製品であっても,選ばれた貢磁はむろん窯場の最も優れた製品で,質の要求の面でも官窯のものとあまり変わらないと考えられる。上記のような思案に基づき,及び諸文献を中心として整理してみれば,越州窯の貢磁の構成,及びその様相が次のように纏められる。品が一つの窯で同時に焼造されたことが知られる。その磁器は各地方の諸土貢の一つであり,宮廷に選ばれ貢磁を焼造した場合もあるが,主に民用青磁を製作したのである。この貢磁は,朝廷に奉献した優れた青磁のことであり,数量が産額のすべてではなく,僅か一部のみである。つまり,この類のものは庶民にも使えるし,海外にも輸出されていたのである。その内,秘色青磁が優れた作品として取り上げられ,その産地は全般の越州の各窯場ではなく,文献によれば,窯址は余桃県の上林湖にある。1,唐代における越州窯の磁器は,窯址の調査結果によって,精・粗の二種類の製2,五代になって,越州窯は呉越国の領内において唯一の窯場となったために,そ-480-

元のページ  ../index.html#489

このブックを見る